洞察力は一見してすぐわかるが、定義することは容易でない。あえて言えば、創造的洞察力とは、それまで互いにつながらなかった諸現象を組み合わせ、合成し、構築し直して、全体の中から現われる“出力”が最初の“入力”よりも大きくなるよう工夫する能力、と定義できるかもしれない。

これは企業戦略家にとってどんな意味をもっているか。創造性は教えられるものだろうか。恐らくそれは不可能だろう。では、自助努力にたよって意識的に養えるものだろうか。筆者はもちろん、そう思っている。でなければ、そもそもこの本を執筆するはずがない。

トーマス・エジソンやエドウィン・ランド(ポラロイド・カメラの発明者)のような天才的発明家は、“天才”という言葉の意味からしても、きわめて稀な例外である。大部分の人間にとって、創造的洞察力は、くすぶるオキ火のようなもので、絶えず煽いでやらないと、輝きを発しない。筆者の強い感じでは、洞察力の必要成分である感性、意志、受容性が三拍子揃っている場合、それを養い育てるものは、他から示される模範であり、導きであり、条件反射の状態である。要するに、創造性は教えることはできないが、学ぶことは可能である。