日本では“資本対労働”という関係は成立しない。会社において、この両者は運命共同体なのである。供給者側における役割分担にすぎない労働者を、あたかも利害の対立したものとして位置づけたところに、労働運動が貧困になってしまった原因があり、しかも会社の御用組合ということで、結局は経営側と馴れ合ってしまうという運命をたどらざるを得なかった理由がある。