2012年7月13日(金)

イボダイ――茶化したような名前だが酢で締めても塩焼きでも旨い

dancyu 2012年6月号

福地享子=文
【つくり方】
鮮度のいいイボダイを三枚におろし、塩、酢の順に締める。締め加減は、好み。刺し身でも食べられるぐらいだから、軽く、でもいい。ソースは和洋、これまた好み。ここではオリーブの実とにんにくを合わせたドレッシングを添えた。

江戸前のイボダイを見つけたので、酢で締めてみた。まずは三枚におろす。この魚は、おろしやすいし、頭も内臓も小さいので身がたくさんとれる。

「ういやつじゃ」と褒めてつかわし、全体に薄く塩。そして冷蔵庫で3時間、酢に10分。水分をふきとり、冷蔵庫に2時間もおけば酢がほどよくなじみ、できあがり。

時間は、時計を見ながらやったわけでなく、ま、おおよそ。モチモチッとした白身で、脂もあるので、酢で締めると、ズイッと味に奥行きが出て、いい感じだ。

イボダイは、関東ではもっぱら塩焼きだけど、西ではよく酢で締めて、すしにする。それも姿ずしに仕立て、祭りのごちそうに、というのが徳島県。姿ずしには丸ごとを使うので、下ごしらえに手間がかかるが、そこはそれ、塩したものがちゃんと売られている。あとの酢加減だけはお好みで、ということで、徳島県ときたらスダチ。スダチ酢で締めるのだ。このあたりがご当地ずしの魅力ですね。

でも、実は東京でも、かつてはけっこう頻繁にすしに使っていたらしい。先ごろ亡くなった河岸いちばんの物知り、ひと昔前の東京湾にくわしかった坂田信一さんが、言ってらした。

「戦後間もないころです。神奈川県川崎、鶴見川河口の扇島では、地引き網がさかんで、初夏に入るとイボダイがいっぱいとれた。安くってね、すし屋も喜んで使っていました。すしには片身一カンづけの小ぶりなもの。それを酢でちょいっと締めて使うわけです」

復活! 江戸前にイボダイ、なんてことになれば、おもしろそう。

さて、ここまでイボダイと書いたけど、それは標準和名だからのことで、関東ではエボダイと呼ぶほうが多い。イボダイの語源は、胸ビレの上に黒い斑紋があり、これをお灸のあとのただれ、疣いぼ生おに見立ててのことだ。そこいくと、同じような斑紋でも、マトダイはえらそう。弓を射る的まとに見立てられ、さらにフランスでは、キリストの使徒、聖ペテロが手に持ったあと、とまでいわれ、名前はサン・ピエールとなる。それに較べ、イボダイとは、なんともトホホな名前である。

西ではウボゼとかボウゼと呼ぶけど、これにしたって、丸い背が、おばばの曲がった背(姥うば背ぜ)に似ている、としたため。見たまんまの純朴な名前だ。

しかし、よくよく考えれば、名前から透けて見えるのは、この魚の氏素性。茶化したっていいぐらいたくさんとれていたのだ。今は高級魚の仲間入りだが、しみじみ味わえば、値段に見合うおいしい白身と納得してもらえるはず。入門編は塩焼きで。あるいはムニエル。鮮度のいいものが手に入ったら、締めてみて。

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福地 享子

かつて女性誌の編集者、その後、築地の鮮魚仲卸「濱長」の看板ネエサンとして大活躍。現在は築地の書庫「銀鱗文庫」役員。ここを拠点に、築地を走り回っている。