いささか長い前口上ですが……

一連の「寅さん映画」がスキかと言われればそうでもないのだが(渥美清主演の映画とでは、野村芳太郎監督の軍隊喜劇『拝啓天皇陛下様』がベストだというのが私見。この映画には贅沢なことに藤山寛美が助演で出ていて、渥美とのやりとりがもう最高。とはいっても寅さんシリーズの初期の数本はさすがにシビれる。とくにミヤコ蝶々の怪演と渥美清の持ちネタ全開の演技が火花を散らす『続・男はつらいよ』は傑作)、僕は渥美清という俳優を人間として大いに尊敬している。人生の師の一人といってもよい。この国民的大俳優についての評伝は、ご本人が書いた短いものを含めて数えきれないほど出ているが、芸論帝王の小林信彦の手による『おかしな男 渥美清』がなんといっても出色の出来だ(この本も成り行きによってはこの連載で取り上げたい)。

楠木 建●一橋大学大学院 国際企業戦略研究科教授。1964年東京生まれ。1992年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部助教授および同イノベーション研究センター助教授などを経て、2010年より現職。専攻は競争戦略とイノベーション。日本語の著書に、『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)、『知識とイノベーション』(共著、東洋経済新報社)、監訳書に『イノベーション5つの原則』(カーティス・R・カールソン他著、ダイヤモンド社) などがある。©Takaharu Shibuya

そこには人間・渥美清についての興味深すぎるエピソードが詰まっているわけだが、彼の本質が「見巧者」にあるという小林の論点はとりわけ面白い。『男はつらいよ』シリーズで大成功した後の渥美清は、若いころの結核で体力に心配を抱えていたこともあり、これ以外の仕事をほとんど受けつけないというところまで仕事を絞りに絞っていた。時間ができた渥美は、あらゆる映画や演劇を観まくるという、本来大スキなことができるゆとりのある日常生活を送っていたという。

渥美は演技者として一流であるだけでなく、観る側の人としても超一流だった。映画を観た後の彼の感想や批評は、どんな評論家のそれよりも秀逸だったと小林は回想している(もちろん渥美が映画評論を書いていたわけではない。観た後に彼が小林に対して喋る話の内容がすさまじく濃いのである)。見巧者・渥美清は、面白い作品をありとあらゆる角度から素直に面白がる人であった(その反面、面白くないと途中ですぐに劇場を出てしまったという)。

面白そうな映画あると、渥美は観る前から見るからにワクワクしていたという(「映画を観るのにワクワクしない人を僕は信用しない」というのが小林のスタンス)。渥美清と並んで映画を観ているときのこと。よくできたシークエンスにさしかかると、渥美は「そういうことか……」「面白いねえ……」と独り言をつぶやく。映画が終わった後で場所を移した感想戦でも、「あのシーンはシビれたねえ!なぜかっていうと……」とか「この監督は面白いことを考えるじゃないの!あそこの主人公のやり取りが…」とか「あの演技はよかった!日本にはああいう演技ができる女優がいないんだよ……」とか、微に入り細に入り、身振り手振りを交えた再現つきの論評が炸裂する。とにかく全身で面白がるのである。

僕は自分で商売の経営をしているわけではない。これからもすることはまずないと思う。この辺が一流の演技者であった渥美とまるで違うところなのだが、それでも競争戦略を専門とする経営学者として、僕は優れた戦略の見巧者でありたいと思っている。そのためには、まず自分がワクワクすることが大切だ。

面白そうな会社に出会う。その戦略を眺めてみる。ときには「面白いねえ!」「よくこんなこと考えたな…」と、思わず唸るような秀逸な戦略ストーリーにぶつかる。理屈抜きにワクワクする。ワクワクすると、その戦略ストーリーが全体としてどうなっているのか、個々の要素がどのようにつながっているのか、なぜそれが成果をもたらしているのか、自分で納得がいくように解読したくなる。全体像を自分なりに理解すると、いよいよその戦略の面白さの正体がつかめる。で、ますます面白くなる。自分でも面白くて仕方がないので、人にも話したくなる。あらゆる人に話そうとしてもキリがないので(相手にとってもわりと迷惑な話である)、文章に書く。こうしてできたのが『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』という本だった。