「モテアイテム」がつかえなくなるとき

いまどきの若者は、男の子も女の子も、ひとむかしまえには考えられないほど、クルマに関心がありません。乗っているのが軽自動車でもマセラティでも、男の子のモテぐあいにほとんど差がでないのです。

ファッションについても似たようなことがいえます。不潔だったりみっともなかったりしなければ、全身ファストファッションでもまったく問題は生じません(このことは、男女をとわずあてはまります)。反対に、私のように服飾に関心がつよすぎると、かえって引かれてしまいます。

春樹の小説の男性主人公が、むこうから美女に寄ってこられるのは、男性の妄想充足型まんがとおなじ構造なのだということを、前回のべました。「妄想」をリアルな話だと読者が「誤読」したのは、「モテアイテム」のつかわれかたが絶妙だったからです。

ところがいまや、「モテアイテム」は機能しなくなっています。こうした状況がはじまったのは、おそらく、バブル崩壊後のいきづまりが決定的になった1995年前後のことです。そして春樹は、90年代後半以降『1Q84』にいたるまで、女性か子供が主人公の小説しか書いていません。

「モテアイテム」がつかえないと、「男性主人公のまわりに美女がよってくる話」をリアルに書けないことを、春樹は自覚していると思われます。このため、『1Q84』でひさしぶりに「主要な男性キャラクター」を動かすにあたり、「モテアイテム」の使用権を確保しておこうと考えたのではないでしょうか。そんな事情も、1984年――「モテアイテム」が生きていた時代――がこの小説の舞台にえらばれたことに関連していると、私は邪推しています。

もっとも、『1Q84』の男性主人公である天吾のお相手は、「戦闘美少女」の青豆と、「黒髪ロングヘア&スレンダー巨乳」のふかえりです。おたく御用達の萌えキャラそのもののようなふたりをまえに、天吾は「モテアイテム」を駆使する余地はありませんでした。

『1Q84』は、これまでの春樹作品とくらべても、きわだってまんがチックだとか、ライトノベルのようだといわれているようです。しかし、もともと「モテアイテム」そのものには関心が薄いはずの春樹にとって、『1Q84』こそ、いちどは書きたかった世界だったのかもしれません。

ちなみに、関西出身の知人によると、春樹が卒業した神戸高校の卒業生には、ポピュラー音楽やSF小説に没入し、マイペースで生きているひとが多いのだとか。春樹はたぶん、神戸高校OBの典型的なタイプなのでしょう。