取引先の部長に、せめて名前だけでも覚えてもらいたい。そういうときは、自分の姓名をもう一度見直してみることだ。たとえば、こういう名乗り方をするセールスマンがいる。

作家 阿刀田 高
1935年、東京生まれ。国立国会図書館勤務時代に執筆活動を開始。短編集『ナポレオン狂』で第81回直木賞受賞。日本ペンクラブ会長、直木賞の選考委員などを務める。

「甘さが取り柄の佐藤(砂糖)です」

「出世魚の鈴木(鱸(すずき))です」

もう少し“高度”になると、

「技術はハイブリッド、私はハイブリッジです」

ハイ=高い、ブリッジ=橋、つまり高橋さんだ。少々気恥ずかしいかもしれないが、なに、天下のブリヂストンも創業者の石橋姓を英語に直訳したのが社名の由来。臆することはないのである。

うまい語呂合わせができなくても、次のような言い方なら誰でもできる。

「明日トイレにいらしたときで結構ですから、私の顔と名前をちょっと思い出してください」

私の姓名は「あとうだ・たかし」と読むのが本来だが、「あとだ・こう」とも読むことができる。ある人から、

「『あと、抱こう』だなんて、たいへん太い名前だねえ」

と冷やかされた。言われるまで、私自身まったく気付かなかった。自分の姓名を見直してみようというのはそういう意味だ。しばらくして、酒の席の戯れに次のような色紙を書いた。

「酒もよし、美女もまたよし、あと抱こう」

太い名前である。

以上は「夜の部」。もう少し気品がほしいときは、次のように考える。

たとえば「阿刀田」という漢字の並びからは、いろいろな寓意を汲み取ることができる。「阿」は真言密教の極意である。

「刀」は武士の魂、「田」は農民の拠りどころ。ということは、仏教と武士道と農民の真髄を一つの姓に含んでいることになるではないか。これは少々コジツケ気味だが、自分の姓名についてちょっとした小話を語れるというのも、場合によってはあなたの武器になるはずだ。

小話ではないが、私は最近、出会う人にこんなことをすすめている。

毎日一つ、その日にあった「いいこと」をノートに書き出してみる。これを習慣にしていると、心が明るくなる。「庭にきれいな花が咲いた」「百円玉を拾った」「弁当がおいしかった」。内容はこんなものでいい。

「私は実践していますが、あなたもいかがですか。今日は、あなたにお会いしたことを書きます」

間違いなく、相手の関心を引くだろう。

※すべて雑誌掲載当時