日本をながめる西欧の観測者はたいてい、終身雇用や穏健な労働組合などを特徴とする現代日本の産業体制を“日本固有のもの”とみている。しかし実際には、第二次大戦後の混乱期にいろいろな事情から、やむを得ず作り上げられた制度なのである。ほとんど全国民が失業者だった。工場はほとんどどこでも戦災で灰になっていた。通貨は無価値に近くなり、インフレが年率一〇〇パーセントを越えた。五大財閥をはじめ、それより小さな企業も含めて、多くの会社が“財閥解体”により分割された。マッカーサ元帥は「何らかの産軍共同体が日本を戦争に押しやったに違いない」と確信していたからである。

企業を発足させる基盤は、ほとんど何も残っていなかった。幸いにも戦時中、戦車、航空機、艦船などの生産に動員された技術が、経験ある技術者の頭の中に保存されていた。こうした一部の技術者が、戦前の財閥企業出身の少数の経営者と手を組み、小工場を起こして炊飯器、衣料など生活必需品の生産を始めた。これらの企業は熟練労働者を歓迎したが、資金不足で賃金を支払えないので、大部分は食糧を現物支給していた。当時は食糧の方が金より価値があった。

ある意味で、これら企業の卵は、会社というより“共同体(コンミューン)”に近かった。その中ではみなが一緒に生活し、苦労と労働を共にした。もちろん従来のような形の会社を作って経営しようと試みる者もあったが、飢えた労働者に搾取を試みると、たちまちストが起こって立ち往生した。当時、日本国民が短期間ではあったが片山内閣の下に社会主義政権の下で暮らす道を選んだのも、決して不思議ではなかった。実際のところ、食糧を約束してくれる政府なら、どんな政権でもよかったのである。