「会社を一緒につくろう」で、心が動いた

実はその前にも1つ転機があって、それが1つ前の会社への入社です。

デロイト社に在籍しているとき、地方自治体の仕事で結果を出していたらやっぱり国から声がかかるようになってきた。すると、「国の仕事のほうがビジネスになるじゃないか、杉山!」と。地方自治体よりも国の仕事のほうがずっと割がいいことを同社の上層部が知ってしまったんです。

――おカネの話が前面に出てきた。

はい。「それは嫌なんですよ……」と。同じことを2回繰り返してしまった。これをもう1回繰り返したら馬鹿だなと思って次の行き先を考えるようになります。

そんなとき2社から声がかかります。外資系のC社と、フライトシステムコンサルティングです。フライトの社長は大学時代の友人の兄貴だった。それで辞めるならうちにこないか?と。そのときすでに実はC社には内定していて、地方自治体向けのエヴァンジェリスト活動をすることになっていたのですが、社長と話をして最終的にはフライトを選びました。

――C社を選んでいたら、また人生違いましたね。あー、入ってもすぐ辞めていたかな?(笑)

いやいや(笑)。そっちへ行っていたら、こんな恰好はしない、それまでの会社の延長線上の真面目なコンサルタントになっていたと思いますね。ハイタッチ営業して、論文っぽいもの書いてネクタイしめて「今後の自治体はこうあるべきです」なんて話していたと思います。

それはそれで悪くはない。けれどフライトの社長が僕を口説いた文句が「会社を一緒につくろう」だったんです。これは初めてだった。そこで条件を出して「好き放題させてくれるなら」と。

それで、今までやっていたような自治体のコンサルテーションの仕事は、自分としてはやることはやった感があったので、その中で自分なりに興味をもっと地域興しや、新しいサービスに関わりはじめたんです。ちょうどソーシャルネットワークが流行りはじめてきていて、いろんな人が情報発信する敷居が下がってきていた。これは一人ひとりのポテンシャルを高めるのに役に立つなと思った。それをつくってみようと思ったんです。これが転機です。

――フライトに入って杉山さんの自由な働き方が加速したんですね。

はい。C社に行っていたら、それまでの「仕事は仕事」のスタンスのままだったでしょう。やりたいことは業務後、夜の顔としてやっていたと思います。

前の話題と繋がりますけれど、「自分の好きを仕事にしていいんだ」と思えたのはデカいですよね。