ツイッター体験から生まれた「大名なう」

このあたりで、ツイッターが流行ってきていて、これならITが苦手な商店主の方もうまく参加してもらえるような仕掛けがつくれるのではないか、これを使って一丁、何かやってみよう、となった。もうその場所にたくさんの人が集まってきていたので新聞記者とコラボしたり。

――それはいつごろの話でしょうか。

3年前くらいです。ツイッターが流行ったっていう次の年の2月です。この体験を通じて、やっぱり構造と肝を捕まえて、その肝を変えるようなムーブメントがおきると、お金がなくとも地域や人の、動きや考え方、これは僕自身もですが、変わっていくんだなというのを実体験として学ぶことができました。

――「大名なう」というサービスをやりたかったというよりも、地元の人たちをなんとかしてあげたいと思う気持ちが先だったわけですね。たまたま「大名なう」だったんですね。

そうです。僕が成し遂げたい理想の一つの噴出先が「大名なう」だっただけ。

――今でも続いているんですか?

あの時に情報発信をしたほうがいいと思った人は今でも続けています。

加えて、街の人達が仕事している間、隣の人がどんな人でなにをしているかわかったというのがよかったですね。自分たちで自主的に結びついていろんなことをやりはじめた。僕は求心力になりたいわけではないので、構造ができて自律的にコトが動き始めればいいんです。

――そこで自分がなにかしたいというわけではないですからね。

ですです。僕がやらなくてもいいんです。僕が目立ちたいわけでも、中心に居座り続けたいわけではない。求めに応じて話すことはありますが、自分からこれをネタに講演を売り込むとかは、はずかしすぎてできませんし。

――杉山さんはいろんなものに関わっているんですけれど、それを勲章にしていないですよね。自分の功名とかそういうものとは全く違うところで動いている。話を聞けば聞くほど誰かに指示をされるようなサラリーマン的な動きはまったくしていないですよね。

いやいや(笑)、サラリーマンとしての仕事はずっとしていましたけれどね。

――してないとは言ってませんよ(笑)。

僕はかつて「仕事は仕事」だと思っていたんですよ。

――ふむ。その心は?

要するに仕事っていうのは「やらなくてはいけないもの」だから、きちんとしなくてはいけない、と。そこに自分の好きなものとかを入れるものではないのだと思っていたんです。若い頃は。当時はスーツを着て、真面目な提案をしていた。けっして嫌ではないけれども、好きを仕事にしているというわけではなかったですね。人のお手伝いをする、ということがやりたくて仕事にしたわけですから、もちろんやりがいはありましたけれどね。

――ずっと好きなことをやっていたのかと思った。

違うんです。かつては仕事をする昼の顔と、好きなことをする夜の顔をもっていた。「大名なう」前後から「好きなことを仕事にしていいんだ」というふうに変わってきたんです。