ミッド昭和の名士たちのアイドル的存在

主人公、おそめの本名は、上羽秀(うえばひで)という。おそめというのは、祇園の芸妓のときの芸名である。芸者になるまでの話も紆余曲折に満ちた濃い内容なのだが、そこから話し出すときりがない。各自で味わっていただきたい。ともかく、上羽秀は京都に生れ落ち、さまざまな経緯を経て、祇園で芸妓の大スターとなる。その後京都で小さなバー、「おそめ」を開業した昭和23年からの話である。

おそめ
[著]石井妙子
(新潮社)

木屋町仏光寺にあった自宅を改装したそのバーは、カウンターに5、6人座ればいっぱいの小さな会員制の店だった。「一見さんお断り」という花街流のやり方なのだが、そもそも暗闇に「OSOME」とかかれたネオンサインがポツリと一個あるだけで、店の様子も値段もわからない店に気軽に入ってくる人はいなかった。秀に勝算があったわけではなかったが、店は開店と同時に大繁盛。しかも客筋は超一流。当時の著名な知識人、粋人たちのたまり場になった。白洲次郎・正子夫妻、川端康成、大佛次郎、服部良一、門田勲、大野伴睦、川口松太郎、里見トン……あげていくとミッド昭和のスターのオンパレードである。芸妓時代の秀は売れに売れていた。こういう名士たちですら、ほんのわずかな時間しかその姿を拝めないほどだった。ところが「おそめ」に行けば、その手の届かなかった人にいつでも相手をしてもらえる。秀の店の最大の売り物は、おそめその人自身だった。

秀はどのようなひとだったのか。秀の店の常連となった昭和の名士たちは、彼女と彼女の店のキャラクターについてさすがに絶妙な言葉で表現している。たとえば青山二郎。祇園の豪華なお茶屋が唐津焼だとしたら、おそめは「織部の傑作」だと言っている。白洲正子は、おそめを「白拍子かお巫女のよう」と評している。「どこまでも生活観がなく、それでいて人生をあるがままに受け入れて流れに身を任す」女であり、飾り立てず、天然にふるまうことで客が吸い寄せられるように集まってくるという意である。秀に直接会って、話をし、取材を重ねた著者の石井妙子は、「薄く触れれば壊れそうな白磁や青磁などとは違う。もっと突き抜けた強さを持っている」と秀の人となりを表現している。