――FX3500については後日談がある。一橋大学の野中郁次郎教授(現・名誉教授)とハーバード・ビジネス・スクールの竹内弘高助教授(現・教授)が刺身状開発のプロセスを研究し、86年にアメリカのマネジメント誌「ハーバード・ビジネス・レビュー」に論文を寄稿。オーバーラップの状態をラグビーに例え、日本独自の手法である「スクラムモデル」として紹介した。野中教授はこの研究を契機に世界的に注目される「知識創造理論」を構築していくことになる。
一方、論文自体も意外な展開をもたらす。コンピュータのソフトウエア開発では今、多様な職能を持った少人数のメンバーが互いに専門性を浸透させながら決められた時間内で開発を進める「アジャイル・スクラム」と呼ばれる方法が広く行われている。これは分業型の既存の開発方法の限界に直面した研究者が偶然、野中論文を見つけ、刺身状開発やスクラムモデルから着想を得たものだった。
経営学や開発の世界に大きなインパクトをもたらすことになった富士ゼロックスのTQCだが、しかし、当事者たちはやがて一つの壁に突き当たり、小林氏は再び路線転換を迫られることになる。

【小林】TQCを推進中の78年、私は社長に就任し、「デミング賞への挑戦」を宣言します。デミング賞は戦後の日本に統計的品質管理をもたらしたエドワード・デミングの功績を記念し、TQCで優れた成果を挙げた企業に与えられます。全社を挙げた懸命の努力で80年に受賞を実現。私は引き続き、受賞後5年以上(2000年からは3年以上)、TQCが継続実施され、水準が向上した企業に贈られる「日本品質管理賞(現・デミング大賞)」に挑戦する意向でした。

ただ、われわれも人間の集団でした。業績が上向くにつれ、内部に安心感が生じ、緊張感を継続するのが難しい状況が生まれていきました。「TQCは軍隊みたいで嫌だ」という声も聞かれた。最大の問題は形骸化です。「なぜ=Why」を5回繰り返す方法が「言い訳」に使われる場面が現れるようになりました。

5回繰り返す時間がなかったことを「できなかった理由」にする。「5回回していない」という理由で問題解決を先延ばしする。「5回」という形式だけが独り歩きをするようになったのです。

――デミング賞受賞後の81年から85年まで、TQCはこれといった成果を出せず、社内では「空白の5年間」と呼ばれた。形骸化は80年代半ばには顕著になり、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と謳われ、日本企業の強さが讃えられた時代に富士ゼロックスは沈滞した。
この事態をどう打開するか。 88年、小林氏は新しい働き方を示す「ニューワークウェイ」の導入を決断する。「Why」から「Why not」へ。それはサイエンスからアートへの転換を意味した。

【小林】「Why」の「なぜ」から、「Why not」の「なぜやらないのか」へ、いわば、「やってみなはれ」です。TQCが問題に対する合理的な解を求めたのに対し、ニューワークウェイは一定のリスクをとってでも自分でおもしろいと思うことへチャレンジを促すものでした。

TQCにより科学的アプローチで問題解決を図れば、必ず成果が出ます。ただ、結果としての成果はおもしろくても、データをもとに絶えずレビューをするプロセスは必ずしもおもしろいとは限りません。ワンパターンを繰り返す中で、一人ひとりの個性が潰れるというデメリットも大きいのではないか。超個性派集団にTQCを入れて仕事の仕方の標準化やノウハウの共有化を進めた結果、効率は上がったものの、富士ゼロックスらしい尖った特徴が薄れたのではないか。

TQCは組織として秩序立って大きなテーマに向かうには適しても、過去の延長上には出てこないまったく異質なものを生み出す仕事には不向きなのでは……、多くの疑問が浮かび上がる中で、個性を活かす方針に重心を移したのがニューワークウェイでした。