経営人材こそもっとも希少で貴重な経営資源

この連載で菊池清さんの『日本の半導体四〇年』をとりあげたときも話したことだが(>>記事はこちら)、欧米の経営システムでは、私は会計の仕事をします、僕はマーケティングです、あなたはファイナンスです、というように人々の仕事へのコミットメントが機能インプットで定義されている。これに対して、日本では「こういうものをつくるために働きます」というアウトプットに人々がコミットして仕事をするという色彩が強い。前者だと「それ私の仕事じゃありませんから」という機能分業の理屈が通るが、後者だと「成果を実現するためには私がそれもやっておきましょう」という柔軟な動きが生まれる。

日本の経営を創る
[著]三枝匡、伊丹敬之
(日本経済新聞出版社)

三枝さんも強調していることだが、アウトプットの実現に向けて自律的に働くという側面は、日本の会社のほうがアメリカの会社よりも強い。そもそもそういう土壌があるところほど、戦略ストーリーが共有されたときの効果も大きくなる。人々がアウトプットにコミットする日本型の経営システムでは、そこに共有された戦略ストーリーがあるかないかで、パフォーマンスが格段に変わってくるといってもよい。三枝さんの「創って作って売る」は、日本という国にもともと備わっている持ち味を活かすための仕組みだといえる。

三枝さんの問題意識の核にあるのは、この日本で経営人材が枯渇しているという危機感だ。経営人材は今の日本にとってもっとも希少で貴重な経営資源なのである。しばらく前に三枝さんとゆっくり議論をする機会を得たが、そのときも三枝さんはこの危機感を繰り返し強調していた。日本が高度経済成長の真っただ中にあった1970年代には、経営人材の払底による企業の内部劣化が始まっていたというのが三枝さんの見解である。なにもいまに始まった話ではないが、経営人材の枯渇が日本企業のさまざまな問題の根底にありそうだ。

たとえば、グローバル化。言語、法制度、異文化マネジメントといった表面的な問題が本当のボトルネックなのではない。グローバル化が難しいのは、慣れ親しんだこれまでと大きく異なるそれが非連続な状況のなかで、一から商売を丸ごとつくっていくという仕事だからである。ひかれたレールの上を走るわけにはいかない。自分で荒野にレールをしかなければならない。