手に職を求めて右往左往

はじめの半年間は現場にでて地盤改良をしていました。ポンプ室に入って、ひたすら繰り返しポンプのボタンを押す毎日。夜は新地に飲みに連れていかれ、毎晩一気飲み要員。いつまでたっても木村拓哉みたいな華やかな仕事はさせてもらえない。しばらく我慢をしていましたが、さすがにだんだんと気がついてきます。資格がないと建築設計はできないのだということに……。

――どのくらいで気づいたの?

一年後くらいですね。

――なるほど。

それで、辞めようと思った。ちょうど現場を変わるタイミングがあったので今しかないと思いました。もう一回大学に行ってきちんと設計ができるように資格を取ってこようと思いました。

そこで、まず思い浮かんだのは大阪芸術大学。ところが芸大の入試方法には3科目以外に実技があった。「未来の階段を書きなさい」なんていうテーマがでるんです。受験生はそのために予備校に通って備えています。今からもう1浪して挑戦……?と考えたときに、そもそも建築にこだわる必要はないと気がついた。建築業へは縁あって入っただけで、特別やりたかったわけではないと。祖父に倣って、何か他の職業で手に職がつけられるクリエイティブな仕事はないかと考え始めたんです。

そこで、かつてバンドをやっていたことがあったので、まず浮かんだのがファッションでした。安易ですね。ところが、大阪モード学園の願書を取り寄せると願書が締め切っている。だから、次はパティシエになろうと思ったんです。

――ん、ちょっとわからなくなってきました(笑)。

そうですよね(笑)。ファッション、パティシエに行きつく流れを説明しますね。

これまで工事現場で男性社会の中で埃にまみれて仕事をしていたので、キレイな職場に行きたかったんです。安易ですが今度は女性が多い職場にしたかった。加えて、クリエイティブなもののほかに海外にも興味があったので、パティシエならその夢も叶いそうだと思いました。そこで、望むは辻調理師専門学校! ところがこれも願書締め切りで断念……。

最終的に残ったのが美容師だったんです。こう話すと消去法ですが、当時ロカビリーのバンドをやっていてリーゼントを自分でつくったりしていたので、案外向いているんじゃないかと思いました。

――ゼネコンは、まずは羽振りのよさに惹かれ、コネで入社。その後、徐々に自分のことを考えるようになった。そこで出てきたのが、キレイなところで、女性が多くて、手に職がつけられる仕事。この流れで美容師という仕事が浮上したと。その後、美容の専門学校に入ったんですね?

はい。関西の美容学校に。現グラムール美容専門学校に2年間行きました。

――どうでしたか?

同じ学校へ通ってきているのは美容師の息子や女の子が多くてみんな器用。それに対して僕はとても不器用で、はじめは編みこみもできなかった。ちょっとやればできて、すぐにハサミも持たせてもらえると思っていたんですが、実際は毎日が国家試験の練習。つまらないなぁ、面白くないなぁと思っていました。

――辞めようとは思わなかった?

いや、さすがに自分が働いていたときのお金で通っていたから無駄にしたくないという気持ちがあったのと、この時点で他の人達に2年くらい遅れをとっているので、これ以上無駄な時間を使っていると今後に響くなぁと感じていました。職人の世界は先に入ったほうが優位ですからね。