2012年6月15日(金)

なぜそれでも「同期トップ」の役員になれたか -東レ経営研究所特別顧問

PRESIDENT 2010年8月16日号

著者
吉村 克己 

ジャーナリスト。1959年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。IT・ビジネス・経済・社会問題に関する記事を執筆。著書に『よくわかる介護・福祉業界』『全員反対!だから売れる』などがある。

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吉村克己=文 大塚一仁=撮影

秤では量れない人の幸、不幸

長男は高校3年生のときに幻聴が聞こえ始め、母親に時折暴力をふるい始める。妻はこうしたストレスと肝炎の悪化からうつ病を発し、会社にいる佐々木に電話をしてきた。1日5~6度もあり、不安や体調不良を延々訴える。帰宅後も、夜遅くまで夫へ不満を話し続けた。

98年から妻は頻繁に入退院を繰り返し、精神的に不安定さを増していく。当時、経営企画室長を務める佐々木の責任はますます重くなったが、8時出社、6時退社を頑なに続けた。そうしなければ家族を守ることができなかった。

佐々木は課長に昇進したときに「仕事の進め方10カ条」を部下に示し、計画性、優先順位、効率主義、結果主義などを現場に徹底した。無駄な仕事をなくし、時間厳守、会議の合理化を図った。これによって前任課長時代は社員ひとり平均月60時間だった残業が一ケタに減った。佐々木は生来、無駄が大嫌いな人間だが、ただの合理主義者ではない。

経営企画室時代以来、佐々木をよく知る東レ経営研究所産業経済調査部長の増田貴司はこう語る。

「『忙しいのは無能の証拠。いかに捨てるか。人はあれこれやりすぎる』とよくいっていました。無駄は前例を覆してでも廃止する改革者ですが、部下としては働きやすい上司ですね。方向を指し示しても強制したり、叱責したりしない人です」

妻の病状は悪化し、2001年1月に最悪の事態に陥る。包丁でお腹を切って自殺を図ったのだ。幸い、命に別状はなかったが、佐々木は強いショックを受け、一つの決断を下した。

それまで上司など一部にしか話をしなかった家庭のことを、経営企画室のスタッフ全員に説明した。妻に万が一のことが起き連絡があったら、どんなときもすぐに呼び出してほしいと頼んだ。

「それまで、あえてみんなに話すことはないと思っていましたが、いま思えばさっさといってしまえばよかった。公表して何一つマイナスはなかった。家庭の事情をよく理解してくれて仕事がやりやすくなったし、逆にみんなも自分たちの悩みを話してくれるようになりました」

同年6月、佐々木は同期トップで東レの取締役になる。佐々木自身は「よくぞここまで来た」と感慨深かったが、家族は誰も喜んでくれない。

それどころか、同年10月に妻が再び自殺を図った。佐々木は自分の人生を呪ったが、仕事をやめるわけにはいかない。そのうち、本当に苦しんでいるのは妻だと気づいた。そして、すべて自分が選んだ人生なのだと佐々木は受け入れた。

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