本書は、20年前に刊行された『現代歴史学の名著』(1989年)の続編である。その後の世界の激変を受け、新たな視点から18冊を取り上げている。いずれも歴史の審判に堪えうる名著であるが、改めておのおのの原著の邦訳者による解説や論評を読むと、現代社会が歴史的大転換の真っ只中にいることを痛感させられる。

本書の新たな視点とは、(1)過去の歴史学の主題だった「近代化」では現実が説明できなくなったこと、(2)1989年に始まる世界史の構造変化、(3)グローバル化の3点。(1)、(2)については、「近代化社会は、成熟に達したのか、あるいは未成熟なままなのかにかかわらず、疑いもなくあらたな局面をむかえるにいたった。……(中略)世界的な普遍性は、多様性にむけて変容していった」(viページ)。そして、(3)のグローバル化が「個別の地域や地帯の自律性や独立性を自明の理として受容してきた、伝統的な歴史学を根底からゆさぶる」(viiページ)のである。

本書を読むと、E・H・カーの「歴史の機能は、過去と現在との相互関係を通じて両者を更に深く理解させようとする点にある」(『歴史とは何か』岩波新書、97 ページ)という一文が思い出される。例えば、本書で取り上げられているル・ゴフ著『もうひとつの中世のために』(白水社)によれば、「根本的に過去の人々に生を、中世に『肉と血を返す』ことがル・ゴフの課題」(101~102 ページ)なのである。

そして、「極度に細分化された歴史研究によって生まれる矛盾、緻密さの追求により逆に全体像を描くことに苦労し、歴史の魅力を減じさせてしまっている歴史学の現状を克服する必要の認識が、『全体史』という手段をル・ゴフに与えた」(101ページ)との指摘は、歴史学を経済学に置き換えてもまったく違和感がない。

また、『チーズとうじ虫』(みすず書房)の著者ギンズブルグは北イタリアのウディーネ大司教区文書館に残される異端審問の裁判記録を研究し、「16世紀には、『印刷された書物の頁と農民の口承文化の出会いは、メノッキオの頭の中に爆発性の混合物をつくりだす』のだ」(76ページ)と指摘し、中世社会から近世・近代社会の端境期を生きた人(メノッキオ)を現代に蘇らせている。

まるでタイムマシンに乗って過去、現在、そして未来までをも自由に行き来しているようで、わくわくしてくる。

ゲイの『ワイマール文化』(みすず書房)を読むと、現在の日本がナチス台頭前のドイツ・ワイマール共和国に酷似しているとわかる。「15年たらずの間に、17回もの組閣が行われ」(41ページ)、若い世代の政治に対する態度は、「非政治的であることをもはや超えて反政治的なものへとなってしまった」(40ページ)ことがゲイにとっては深刻な問題だった。今、歴史の教訓を学ばずにいつ学ぶのか。