闘志が露われた「内田メモ」の中身

あるとき、母親に「親戚に医者がいないから、医者にならないか」と言われた。「嫌だ」と答える。嫌なものは嫌、はっきりしている。「じゃあ、何になりたいのか」と尋ねられ、「天文学者がいい」と応じた。簡便な望遠鏡しか持っていなかったが、星をみるのが好きだった。理数系の科目が得意で、大学受験では数学への配点が多い京大を選ぶ。

精密工学科の4年のときに、工場実習でキヤノンカメラ(現・キヤノン)の下丸子工場(東京)へ行く。別に、カメラや写真には興味がなかったが、子どものころから工作好きで、機械のメカニズムにも関心が強かった。東京ですごすのは初めて。でも、社員たちが親切で、すっかり気に入って、入社試験を受ける。

65年4月に入社。「昭和40年不況」の直後で、業績が悪く、家族から「何で、つぶれるかもしれないところへ入ったんだ」と言われる。でも、業績など、入社してから知った。構わず、カメラやレンズの工場で、年長の工員たちの中に入り、現場研修を重ねる。大学時代の実習時と同様に、みんな、親切だった。

7月、下丸子工場の技術課に配属される。技術課は、生産に使う機器を磨き上げる加工技術を受け持っていた。やがて、製品に仕上げるための技術が中心となり、設計陣と生産現場をつなぐ役となる。ずっと、「モノづくり」に近いところを歩んではいたが、あくまでスタッフ役ばかり。

自ら現場でつくり上げたカメラは、1台もない。

89年の元日に、「品質論」に続くテーマとして「良い商品とは?」を考えてみた。福島から呼び戻されて5年目になっていた。いろいろな経験から、メモをつくってみる。必要条件は(1)安い(2)性能が良い(3)使い易い(4)品質が安定している(5)デザインが良い、の5つに整理できた。対応する十分要件として「タイミングよく供給される」「ユーザーのニーズにこたえる」「ブームに乗る」が並んだ。これらが満たされれば、多量に売れ、ヒット商品となる。つまり「良い商品」になり、それがまた次の商品の開発へとつながって、いい循環が生まれる。

さらに「カメラは成熟商品だが、安定した利益が得られる業界だ」と指摘し、「先手必勝」「一歩先を読む」ことを成功の条件に挙げた。メモは、ノート1ページに要約できる簡潔なもので、「絶対的な裏付けはない。決断にリスクは付きもの」と結んだ。生来の性格が出たのか、闘志を露わに表している。

以後、20年余り、カメラの開発陣だけでなく、他部門の幹部たちにも、メモの内容を言い続ける。(1)の「安い」は「コストパフォーマンスが良い」に、(4)の「品質が安定している」は「信頼性が高い」に言い換えているが、当人からみれば、すべて当たり前のことばかり。でも、成功体験を持つと、そうした基本を忘れがちだ。それを戒めたい。

2006年5月、社長に就任。前任の御手洗冨士夫氏が、日本経団連の会長になることになり、その前日に後を継ぐ。2週間近く前に、社長交代の記者会見で、御手洗氏は後継者について「旺盛なリーダーシップと、事業に対して私心がない」と評した。私心がないと褒められたのもありがたいが、「リーダーシップ」を認めてもらえたのが、何よりうれしい。「品」という言葉の意味を辞書で確認して以来、四半世紀に近い内田流が、認められた日だった。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)