思えば戦後日本の優れた経済成長システム、工業化社会に適ったシステムというのは、80年代半ばまでに有効寿命を終わっていたと思う。より正確に言えば、85年の「プラザ合意」。あれが戦後日本経済のミッドウェーだった。

プラザ合意は日米経済戦争における日本の無条件降伏だった。以降ドルがフリーフォール(急落)して日本の輸出競争力は削がれる一方、国内に膨大な資金が流入して経済はバブル化する。外向きの巨大なエンジンを停止させられた日本は、内向きにエネルギーを溜め込むことになり、その圧力に持ちこたえられなくなって89年12月を境にバブルが崩壊した。

政府自民党と中央省庁は経済敗戦を国民生活に平然と押し付け、バブル崩壊後は景気回復の手段として国民を使った。将来の昇給を見越して金利が上がる「ゆとりローン」を創設して住宅を買わせ、金融機関を救済するためにゼロ金利政策を続けて、本来なら国民が得るべき富を収奪してきたのだ。まさに本土防衛の竹槍戦略である。

それだけではない。90年代以降、この国では国家と国民の間で、一度として“生産的な対話”などなされてこなかった。政府は巨額な債務を抱える危険性を正直に国民に訴えて協力を仰ぎ、債務を解消する努力をすべきだったのに、「景気は悪くない」「不況は脱した」と大本営発表を繰り返して、“戦況”を悪化させてきたのだ。