自分が好きなことを仕事というカタチにしているヒトたちを追う本連載。リクルートや出版社勤務を経て、アジア・アフリカの教育支援を行うNPOに飛び込んだ松丸佳穂さんの後編です。

※前編(>>記事はこちら)


 

松丸佳穂(まつまる・かほ)●NPO法人ルーム・トゥ・リード・ジャパン事務局代表

早稲田大学を卒業後、リクルート入社。広報や結婚情報誌の編集・企画を担当。その後、出版社社長室を経て、2010年1月にルーム・トゥ・リード初の日本人職員として採用され、日本事務局を立ち上げる。幼少期をルーマニアですごし、その後もロシアやイギリスなどで育つ。主に小説など本を数冊常に持ち歩き、週に1度は本屋にいく本の虫だという。

>>ルーム・トゥ・リードのウェブサイト

柴田励司(しばた・れいじ)●インディゴ・ブルー代表取締役社長

1962年、東京都生まれ。85年上智大学文学部卒業後、京王プラザホテル入社。在蘭日本大使館、京王プラザホテル人事部を経て、世界最大の人事コンサルティング会社の日本法人である現マーサージャパン入社。2000年日本法人社長就任。その後、キャドセンター社長、デジタルハリウッド社長、カルチュア・コンビニエンス・クラブ代表取締役COOなどを歴任して現職。

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海外では内戦勃発で逃げた経験も

 ――少し話を戻しますが、リクルートで社内広報をやられていましたが、これもご自身の希望だったんですか。

いえ、違います。ただ配属されて。初めは苦労しました。同期が皆、結果が比較的目に見えやすい営業に配属されるなか、広報は結果のわかりづらい仕事なので、周囲を羨ましく思った時期もありました。ただ、今は当時広報をさせていただいて本当によかったと思っています。そこでお世話になった方々とのご縁、広報での経験がすべて今の活動に活きていますね。

――その経験があったから、今回も広報ができると思った。

そうですね。リクルート広報として社内誌のあと、社外広報を担当したとお話しましたが、当時は、私と後輩の2人でほとんどの問い合わせを受けていたんです。なので、経営に関わることも自然とわかるようになっていきました。記者クラブへいって怒られることもありましたが、知ったかぶりはせずに、わからないことは正直に伝えて、逆に記者の方にたくさんのことを教えてもらったりして、若さで切り抜けていました。

――そうやって、わからなくても笑って飛び込める性格は昔からですか。

そうかもしれません。子どものころ、ルーマニア、ロシアに住んでいたこともあって、私は英語がすごく流暢なわけではないものの、言葉じゃないところで、なんとかできる感覚はありました。ここで生き抜いていくためにはどうしたらいいか、周囲にとけ込む方法を知っていたというか。

――何年くらい海外にいたのですか。

日本人学校などにも通いましたが、小学校から高校3年まで海外ですね。大学のころは体育会テニス部に所属していたこともあります。子どものころがずっと海外だったので、日本の体育会に憧れたんです。そういうところに所属していないと、日本のことをまったく知らないダメな帰国子女になってしまう気がして。

――(笑)。幼少期から生活がグローバルな環境にあったのですね。

アメリカ圏ではないのですけどね。共産圏にもいました。家族とルーマニアにいて内戦が勃発して、みんなで逃げたなんていうことも経験しています。

――普通の日本人では体験できないことをたくさん体験したんですね。

そうですね。だから米国本部のように、文化も言葉もこれまでとまったく違う環境のなかでも、味方をみつけてなんとかできるような気がして。たとえば日本的な根回しなんかも、どこでも通用するんですよね。これは私が言うのではなく私のボスから言ってもらおうとか、情報は包み隠さず正直に報告することで信用してもらうとか。こういうことって世界的に通用する。これは日本企業で学びました。