転職へ背中を押して、夫はさっさと単身赴任してくれた

――いままでこの連載に出てくださっている人に共通しているのは、みんな即決なんですよ。悩んでないんです。大きな決断ってそういうものかもしれませんね。仕事をしながらボランティアというところからスタートして、その後、これがメインになっていくわけですが、ここはすんなり移行したのですか。

確かに即決はしているのですが、私の場合、ボランティアから職員になるまでは、決してすんなりではありませんでした。大変なのは目に見えていましたから。というのも、私は外資系企業に勤務したこともなければ、英語はネイティブなわけでもなく、非営利団体やアジア・アフリカに精通しているわけでもない。加えて日本には寄付文化がまだ育っていないため、その理解を求める策を考え、一方で実務的にしなければならない業務なども山積み。大変だな……、リクルートのころの生活がまたやってくるのかな、なんて。体も強いほうではないので。

――もっと大変かもしれない……。

はい。そんなときに主人が名古屋に転勤になってしまったりして、どうしようと悩んだのですが、最後は主人が「やったら?」と言ってくれて。「好きなことに巡り合うってことは、人生でそんなにあるものじゃない。このチャンスを逃したら次はないかもしれないよ。やってみてダメだったらそれでいいじゃない」と気楽に言ってくれたんです。彼は、さっさと単身赴任をしてくれました。

――なるほど。その後、ジョンからは正式な誘いはあったのですか。

最終的には、CEOであるエリンからメールが来ました。このポジションは公募をしていたので、その段階でかなりのアプライがあったようなのですが、その公募の最終締切の日に声をかけていただきました。このメールがまたうまいのです。“もちろん無理強いはしないし、多くの報酬はお渡しできないけれど、絶対に後悔をしないワンダフルなエクスペリエンスを約束するわ。私がそうだったように”というような内容でした。

――ははあ。ワンダフルなエクスペリエンスで、口説かれたわけですね(笑)。

はい。このメールをみたとき結構ジーンときちゃったんですよ。その後あわててレジュメを書いて。もともと一員になりたいなって気持ちはあったんだと思います。けれど、このころは「できない言い訳」を1日2日くらい、ぐにゃぐにゃ考えている時間がありました。

――ご主人はサポーティブだったようですが、前職や周囲の人の反応はどうでしたか。

前の職場の人は、私が一体どこにいって何をするのか、私もきちんと説明できていなかったこともありますが、あまり理解をしていなかったかもしれません。こうしたNPOに対する5年前の日本での受け止め方は、まだそんなものでした。NPOに転職と聞いて、雑誌の取材が入ったくらいですから(笑)。

(後編に続く)

(柴田励司=聞き手 高野美穂=構成)