たまたま呼ばれた店で「人を探してるんですが」

――素晴らしいですね。では、どうして松丸さんがこの団体に出会ったのか、きっかけから聞かせてもらえますか。

はい。私はリクルートにおりまして、その後、出版社を経てこの世界に入りました。リクルートというと「自分でチャンスを掴みとる!」というタイプの人が多いと思うのですが、当時の私は自分でなにか動き出すというよりも、目の前にある仕事に没頭するほうでした。同期がほとんど営業に配属されるなか、私は広報配属で社内報を担当。その後、社外広報に移りマスコミ対応を経験したあと、仙台に転勤となり、東北6県をカバーする結婚情報誌「ゼクシィ」東北版の編集をするようになりました。

結婚情報誌「ゼクシィ」は当時、東京、名古屋、関西など大都市では知名度が非常に高かったのですが、東北では、誌名を出してもすぐには理解してもらえないこともありました。ただ、すばらしいメンバーに恵まれたこともあって、この仕事は楽しく、仙台には1年半いたのですがもっと居たかったくらいです。きっといただいたチャンスにうまく流されて、楽しく働けるタイプだったんですね。リクルートには通算7年半務めました。

――次の出版社との出会いは。

仙台に転勤したあと東京に戻ることになりまして、今度は全国をみるという立場になりました。ただ、ここだけの話、それがあまりおもしろくなかったのです(笑)。

――管理的な仕事だったのですか。

そうですね。「ゼクシィ」には地方色があるからいいと感じていたのに、あくまで私の個人的な意見ですが、どちらかというとコストダウン目的で、個性をなくす平準化・共通化をしないといけない役目で。

――あー、なるほど。ちょうど仙台で地方のよさを感じてきたばかりだったのに、と。

そうなんです。記事を共通化してコストを下げてという作業をしていて、毎日ものすごく忙しいわりに、クリエイティブな作業でもなくて、身近な人に喜んでもらえている気もしない。今となってはそういった役目の大切さもよくわかりますが、当時はおもしろいと思えなかった。しかも、私がやらなくてもいいんじゃないかな、と。ただ、当時の上司や仲間は本当にすばらしい人たちで、今でもとてもお世話になっています。

――そんなときに転機が訪れたんですね?

はい。たまたま広報時代にお世話になった記者の方に呼ばれて立ち寄ったお店で、その後、上司となる出版社の方がたまたまいらして。ウチ、いま人を探しているのだけれど……、と。

――人の転機っていうのは、そんなものかもしれないですね。誘いには即決したのですか。

はい、即決でした。こんな話をするのはお恥ずかしいのですが、9時~6時の仕事だと聞いて、それまでが本当に忙しかったので、その勤務時間帯に憧れてしまいました。しかも老舗の出版社だったので、大好きな本が読み放題というのも魅力的でした。

こうして、働きはじめて初の「1日2部制」の生活がはじまります。アフター5ができた。けれど、2部の活動としてお料理などいくつかの習いごとをしてみましたが、わりとすぐに飽きてしまいました。それで、この「ルーム・トゥ・リード」のボランティアをするようになっていったのです。

この団体を知ったのは、たまたまニューヨーク在住のコモン・るみさんというブロガーの方がいらっしゃるのですが、彼女から欧米のチャリティ団体がバイリンガルでPRができる人を募集している、という話を聞いたんです。その時、私は「ルーム・トゥ・リード」の事は知りませんでした。ただ、コモンさんがとても素敵な方で、誘われるままに南アフリカ大使館で行われたイベントに参加しました。2007年5月の出来事です。ここで創設者であるジョン・ウッドのプレゼンテーションも初めて聞きました。

それまではボランティア活動もしたことがなかったし、どちらかというと「ボランティア……、ううん、あまりいいわ」というような態度だったんです。