篠原信一(柔道日本男子代表監督)

しのはら・しんいち 1973年、青森県生まれ。神戸育ち。天理大学卒。98〜2000年の全日本柔道選手権大会で3連覇。2000年シドニー五輪銀メダル。03年引退。天理大学体育学部准教授、同大学柔道部男子監督。2008年より男子柔道日本代表監督。

柔道のロンドン五輪代表が決まった。その男子柔道陣の監督として陣頭指揮をとる。期待の裏返しだろう、どうしても日本の看板クラスである100キロ級の穴井隆将(天理大職員)、100キロ超級の上川大樹(京葉ガス)には言葉が厳しくなる。「特に重量級がふがいない。オリンピックまで、まずメンタル面を徹底して強化していきたい。自分に自信が持てるよう、稽古で追い込んでいきたい」と。

篠原といえば、2000年シドニー五輪の100キロ超級の決勝戦が有名である。ドイエ(フランス)と対戦し、技の応酬の際の審判の「誤審」で金メダルを逃した。日本選手団は猛抗議したけれど、篠原は「自分が弱いから負けた」と潔かった。

人格者で通る。引退後、母校天理大で指導者の道に入る。北京五輪後、日本男子代表監督に就任した。テレビでは天理大後輩の野村忠宏との爆笑トークなどで砕けた感じたけれど、道場では口数少なく、じっと選手の稽古を観察する。愛弟子の穴井にはほとんど「稽古をやれ」としか言わない。自身が稽古で強くなったからか、大学でも代表合宿でも稽古の大事さを説く。「気持ちだ、気持ち。おまえもおれと一緒で稽古の積み重ねで強くなったんやろ。稽古をせなアカンぞ」と。

もちろん試合中には短くポイントを指示する。5月の五輪最終選考会を兼ねた全日本選抜体重別選手権(福岡)。組み負ける場面があった準決勝の後、穴井に対し、「技出しが遅い。思い切りがない」と叱咤した。結果、決勝も一本勝ちで優勝した。文句なしで、初の五輪代表に選ばれた。

さてロンドン五輪である。会見で抱負を聞かれると、39歳の篠原監督は力強く答えた。「オリンピックまでにしっかり選手を強化していきたい。金メダルを獲るため、死ぬ気で稽古をしていきたい」と。 

(藤田孝夫=撮影)