「他社と違った良いことをする」際に生じるジレンマ

思い出話はこれくらいにして、本題に入る。僕が競争戦略論について昔からわりと強いフラストレーションを感じることがあった。それは、競争の戦略の本質にかかわる問題だ。あっさり言ってしまえば、競争戦略とは「他社と違った良いことをしろ」ということに尽きる。他社と同じでは完全競争に近づいてしまい、遅かれ早かれ儲からなくなる。だから違いをつくる、これが戦略の基本論理となる。納得である。

と同時に、その「違ったこと」は成果(競争戦略の場合は長期利益)を出すうえで「良いこと」「儲かること」でなくてはならない。これも当たり前のように納得がいく。

ところが2つ合わせるとどうも納得がいかない。「他社と違った良いことをしろ」といった瞬間に矛盾というかジレンマに突き当たる。もしそんなに「良い」ことだったらとっくに誰か気づいてやっているはず。「良いこと」ほど「違い」になりにくい。世の中間抜けばかりではないのである。よしんばだれも思いついていないことであっても、その「良いこと」をしてぼろ儲けしている企業があれば、他社も同じことをやろうとするはずだ。すぐに違いが違いでなくなってしまう。

競争優位を構築することとそれを持続することは違う。戦略の目標は長期利益である。今のうちだけ儲けましょう、という話ではない。だから競争優位を構築しようとする以上、それは持続的でなくてはならない。構築よりも持続のほうが何倍も難しい。だから、戦略論の行き着くところは常に「模倣障壁」の問題になる。要するに、他社が追いかけてきても真似できない障壁をいかにつくるかという話だ。

典型的な模倣障壁としては、規模の経済、特許、重要な資源の占有、ノウハウの密度などなどがある…ということになるのだが、僕はこのロジックがどうも腑に落ちなかった。いくら模倣障壁をつくっても、競合他社も儲けようとしてそれなりに必死になって追いかけてくる。模倣されるのが遅いか早いかの違いはあっても、「模倣障壁の構築が重要」といった瞬間、持続的競争優位というのはロジックとしてはずいぶん窮屈な話になる。

従来の「模倣障壁」系の話に代わる持続的な競争優位の論理はないものか。僕はこのことをずっと考えていたのだが、ある日突然降ってきたのが吉原先生の『「バカな」と「なるほど」』(以下、カギかっこが多くて面倒なので「バカなる」と略す)の論理だった。「非合理の理」、これだ!「バカなる」こそが持続的競争優位の本命だ!と唐突に興奮したわけである。赤坂のアークヒルズにある「オーバカナル」というレストランで食事をしている夜のことであった(←これは嘘)。