もともと貧富の差や資本と労働といった階級的対立の概念は、今日のわが国の企業の実態に合わない。機会均等の今日の日本の社会構造の中で、恐らく唯一の社会的抑圧の蓄積は、公平さの欠如からくるものであろう。実力による境遇の差を認める社会的風潮はある反面、同じような働きと実力をもった人間が制度上大きな生活レベルの差につながるという「不公平」は、うまくもってゆけば大衆を組織化しうる残された唯一の駆動力ではなかろうか、というのが私の仮説である。とすれば、この第二の道、すなわち給与所得者連合というのは、少なくとも同質の勤労に対して不当に不公平な扱いを受けている多数派の組織化を直接目的としているだけに、成算はかなり高いと思われる。

いいかえれば、今日の税制や報酬(富の配分)は、職業によって異なっている。このため、本来人間に備わっている貧富の差に対する階級闘争本能を、(わが国の制度上の特異性を利用して)職業間の闘争に向けてしまうほうが、サイレントマジョリティーの決起には有効ではないか、と思うのである。

明治維新によって廃止したはずの士農工商という職業による階級制度は、今日また、税制上の不公平によって、別な形で顕在化してきつつある、といってもよい。こうした社会的知的退化を防ぐためには、われわれの一人一人が法のもとにおける平等というものを、単に人権というヒューマンなタテマエ論だけではなく、生活レベルといった実質的なホンネ論に引きずりおろして考える努力と執念を持たなくてはならない。