――日本の政治家も経済人も、学者も芸術家も、リングを選ぶ。日本という土壌である。この土壌をはずれて育つ日本人は少ない。国際人と国際通を混同するようなお国柄である。他国の土俵で皆をウーンと唸らすような大木に育った人は少ないし、また他国の風土で大いなる影響力を持つに至った人も少ない。個人に対する尊敬というものが具体例としてないから、日本の場合には、国に対する抽象的、かつ単眼的な印象がひとり歩きしてしまうのであろう。

土俵を選ばない、ということは相手を非常に気やすくする。どこにでも円を描けば、それを土俵として構わない、という大人的な態度で事にあたれば、膠着化した関係もほぐれやすい。反対に、なんとか自分の土俵に相手を引きずり込もうとしているのがみえみえの場合には、入口論争から泥沼に入り込むことが多い。

だれも、どの会社も、どの国も、そんなに余裕はなく、みな精一杯背伸びしているのである。そんなときに、土俵の選択の議論を引き起こせば、まさに拘泥、膠着の悪循環となる。本当の相撲ではなくて、ルール無視の場外の格闘となる。お宅の選んだ土俵で結構ですよ、という態度に出れば、逆に、どの土俵で争うかの議論は通り越して、試合そのものにおける勝負に集中できる。