「人の身になって考える力」が衰えた?

――それは『マーケティング思考の可能性』の中で、マーケティングを考える者の重要な視点として繰り返し強調されている「相手の中に棲み込む」を実地にやっているということですね。

石井 そうです。それが花王の得意とするところです。ユニ・チャームも、生活者の生活に棲み込むやり方をしています。日本市場での競争の中で、P&Gはそれが大事だとわかったのではないでしょうか。

以前、神戸大学で経営史をやっていらっしゃる桑原哲也先生に、戦前の三井物産でしたかね、その話を教えてもらったんです。社員が中国に仕事をしに行くときに、三井物産はどういう要求を彼らに出したかいうと、「中国に行って、三年間は会社に来るな。その間自分でメシを喰え」と。そこで社員は弁髪にして中国人と同じ生活をしながら、メシを喰う算段をするわけです。そして三年目に三井物産の中国本社へやってきてから、物産マンとしての仕事が始まる。昔の日本の会社は、えらかった(笑)。

今の日本の会社は、グローバライゼーションの掛け声は勇ましいのですが、それができていない。逆に、サムスンやヒュンダイにその点では、名を成さしめています。彼らは、母国に戻らずその国で骨をうずめる覚悟で、「相手の国の中に棲み込む」ことを徹底してやっていると聞きます。日本企業は、今になって「現地化せなあかん」とか言っているわけですが。

■桑原哲也
経営学者。神戸大学名誉教授。
1946年、岐阜県生まれ。経営学博士(神戸大学)。専攻は経営史、国際経営。

主著『企業国際化の史的分析』
森山書店/本体価格3786円




石井 桑原先生のお話を聞いていても、相手の身になって、自分をその立場に置いて、その視点から自分のほうを見てみるということは、日本人の得意中の得意だったはずなのだけれども、最近の日本企業には、そのやり方がちょっと薄らいでいるような感じがします。

「対象に棲み込む」「人の身になって考える」というのは、幼稚園の子にもできると思っていたのですが、もしかすると、誰にでもできることではないのかもしれません。となると、これは、「棲み込み力」といったような「力」なのかもしれませんね。で、今、日本はその力がなくなっているのではないかという気がするんですよ。特に若い人なんかを見ているとそんな感じがします。

――ということは、何らかの訓練や体験が必要?

石井 大学の学長という仕事をしていて、若い人にそれを学んでもらいたいと思うんですけれどね。流通科学大学は、「実学の流科」がうたい文句。実学とは、「学びながら実践し、実践しながら学ぶ」ことを指すのですが、最近はそこにもうひとつ、「社会の問題を自分の問題として考える」というフレーズを加えています。

たとえば日産自動車が「クルマと生活のことを考えて」、大阪ガスが「お風呂に長く楽しく入る工夫を考えて」、ドンクが「夕食にパンを提供するにはどうしたらいいでしょう」といった問題を持ち込んできて、それに対して学生たちが調査し、考えて、商品を含め企画を提案するということを継続的にあちこちでやっています。「企業はこんなところで悩んでいるんだ」から始まります。社会の問題を、自分の問題として初めて考える位置につくわけです。その問題に対して、どんな解答があるのか。消費者の気持ちを調べないといけません。

では、「どうやって調べればいいんだ」ということになります。そこに、マーケティングリサーチの手法があったり、調査から企画、そして試作品づくりに至るプロトタイプの手法があったりします。泥縄式ですが、それらを一夜漬けで大急ぎで勉強しないといけません。まず、社会の問題に関心をもつことがスタートで、学びがあとから付いてくるという流れです。数学の問題を解くとか、歴史や地理を覚えるという今の高校や大学のテキスト中心の教育プロセスの中では、そういう体験は出てきません。

相手の身になって物事を考えるということは、お題を出してくれる企業やマーケッターの立場になって考えるということでもあるし、さらに消費者の目線に立って、なぜその商品やサービスを買うのか、買わないのか、ということを考える良い機会になります。