日本を離れて学んでいるからこそ、見えてくる日本がある。真の意味での「愛国心」が芽生えてくる。ボストンの地で、大前さんは親友に対し母国への熱い思いを語っていた。MIT留学時代のルームメイト、前広島市長・秋葉忠利さんが語る「われらの青春時代」。

「これからまだ実験なんだ」

大前さんは卒業後、MITへの支援を長く続けている。写真はMITから贈られた感謝状。(市来朋久=撮影)

大前氏と私が共同生活を送っていた学生寮の3人部屋は、チャールズ川沿いを走るメモリアル・ドライブと、MITのキャンパスを抜けてハーバードブリッジにつながるマサチューセッツ・アベニューが交差する四つ角近くにありました。眼前にはチャールズ川、MITまで歩いて数分の至便な一階角部屋です。

もうひとりのルームメイトはニューヨークのブルックリン出身のアメリカ人。MITの学生をユーモラスに表現する「Tech Tool」という言葉があります。要するに機械や電気のことはよく知っているけれど、他のことには疎くて、野暮ったくて、女の子には全然モテない「MITの金槌」みたいな意味合いです。3人目の彼は電子工学部のエンジニアで、典型的な「Tech Tool」だと、よくからかいました。

共同生活といっても、MITの大学院生はそれぞれ自分の研究をやっているし、自分が籍を置く学科、私なら数学科の仲間との付き合いが主になってくるので、生活パターンはバラバラです。

数学科の学生は昼夜逆転している人が多くて、どちらかといえば私もそちらに近かった。数学は自分の頭の中でできるから時間的にはルーズになりがちです。一方、工学系の勉強には実験が付きもので、原子力工学科の大前氏はしょっちゅう実験を抱えていて、何時間かおきに定期的にチェックしなければいけない。時にはとんでもない時間に起きて学校に行っていたこともありました。だからMITの関連施設は大体24時間体制。学生の図書館も24時間オープンで、そこに寝泊りして勉強する学生もいました。

MITに留学してくる外国人は、それぞれに覚悟と責任感を持ってやってきています。使える時間は全部勉強に費やして当たり前。優秀な研究者というのは四六時中、自分の研究対象について考え続けているものです。湯川秀樹さんのように夢の中で解けたケースもあるわけですから。

生活パターンは違っていても、大前氏が真剣に勉強しているのはよくわかりました。友人から誘われた映画だかパーティに、「一緒に行かないか」と声をかけたら、「これからまだ実験なんだ」と断られたことがある。そのときの、マサチューセッツ・アベニューの階段を上っていく彼の後姿も強く印象に残っています。

たまたま実験と重なるタイミングだったにしても、どこか我々とは違うレベルで勉強に向き合っているように感じました。