彼の「指揮姿」に立ち尽くす

大前氏の第一印象は……やはり少し日本人的な感覚ではないですよね。ハッキリとモノを言うし、考え方がしっかりしている。

私は高校のときにアメリカに留学していましたから、アメリカ的な人付き合いの仕方がそれなりに身に付いていて不思議ではありません。でも彼にはそれまで留学経験はない。それであれだけオープンに外国人と付き合えるのは凄いと思いました。

それから音楽。MITのオーケストラに入っていたし、そこで奥さんと出合ったわけだから、音楽は大前研一を構成する非常に大事な要素だと思います。

音楽と言えば、とても印象に残っているシーンがあります。

一時期、私と大前氏は同じ部屋で生活していたことがありました。大前氏がそれまで住んでいた大学院の学生寮の居心地が悪かったのか、何かしらの事情があって出なければならなかったのか覚えていませんが、とにかく住むところがないという話を彼から聞いて、「ウチの部屋、空いてるからしばらく来てみたら」と声をかけたのです。

私が住んでいた学生寮は3人部屋でしたが、キューバ系アメリカ人のルームメイトが学校が肌に合わずに地元フロリダに帰ってしまって、ベッドがひとつ空いていました。

3人部屋といっても机が3つ置かれた勉強部屋とベッドが3つ並んだ寝室があるだけ。プライバシーもへったくれもありませんが、あのころはヒッピーの時代ですから人の行き来は自由という風潮だったし、人様の家に転がり込むのもよくある話でした。

大前氏がルームメイトになったある日の夜のことです。叩きつけるような激しい雨が降っていました。私は少し遅い時間に帰宅すると、ベートーベンだったかブルックナーだったのか忘れましたが、シンフォニーのレコードがかかっていました。勉強部屋を覗くと、椅子の上に立った大前氏が窓辺を向いて棒を振っている。一心不乱で、私が帰ってきたことにもまったく気付かない。

しばらくその場に立ち尽くして、私は彼が全身でタクトを振る姿に魅入っていました。音楽もその場の雰囲気に実にマッチしていて、何か神々しい光景に立ち会ったようで、静かな感動が押し寄せてきたのです。

これには後日談があります。息子が2歳になる前だったと思いますが、ひとりで立てるようになった頃に、ニューイヤー・コンサート(毎年1月1日に行われるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート)の映像を見せたら、食卓の箸を握り締めて、振り始めたのです。以来、5歳になるくらいまで、ニューイヤー・コンサートを見るたびに彼は棒切れを振っていました。

最初に息子がタクト替わりに箸を振ったとき、私の脳裏にフラッシュバックしたのは大前氏のあの姿です。獲得形質(後天的な形質、たとえば鍛えた上げた脚力など)は遺伝しないはず。しかし、音楽に入り込んでいる大前氏の姿が私の心の奥底に深く刻まれて、それが我が息子に遺伝したのではないか——。ふと、そんなふうに思ったほどでした。

次回は「友が語る『青春の大前研一』(中篇)」、4月30日更新予定。 

(秋葉忠利=談 小川 剛=インタビュー・構成)