大平内閣では官房副長官、橋本龍太郎内閣では幹事長だった加藤紘一氏。

79年9月、衆議院を解散する。自民党内から反対論が噴出し、大平は投票日の10日前に導入断念を表明した。だが、総選挙で自民党は敗北を喫した。大平内閣で官房副長官だった加藤紘一(後に自民党幹事長)が思い出を話す。

「投票日の午前中、車に同乗した。『一般消費税は将来の福祉財源だったけど、赤字国債を出したので、埋め合わせとして大蔵官僚が俺に背負わせたのかなあ、それを国民に見破られたのかなあ』と大平さんは漏らした。奥深い台詞です。トップリーダーはどうあるべきか、その心構え、問題に取り組む姿勢をしっかり持っていなければ、ということです」

大平は翌年6月、現職首相のまま病死した。6年後の86年7月の衆参同日選挙で大勝した中曽根康弘首相が87年2月、大型間接税導入を目指す売上税法案を国会に提出した。当時、自民党政調副会長で中曽根派だった野田毅(現自民党税制調査会長)が述懐する。

「大平さんの失敗の反省から、中曽根さんは大型間接税実現の前作業として、徹底した行政改革を先に推し進め、マル優(少額貯蓄非課税制度)廃止などの不公平税制の改革も十分やった。ところが、その後の衆参ダブル選挙で『大型間接税は入れない。私が嘘をつく顔に見えますか』と口走った。選挙後に売上税法案を持ち出したが、『嘘つき』と呼ばれた」

批判が強く、87年5月、売上税法案は事実上、廃案となる。11月に中曽根に代わって竹下登首相が登場した。

中曽根康弘内閣では自民党政調副会長だった野田毅・自民党税制調査会長。

第二次大平内閣と中曽根内閣で蔵相を務めた竹下は、消費税導入を政権の目標と狙い定め、用意周到に取り組んだ。88年、通常国会の後、すぐに5カ月超の長丁場の臨時国会を設定し、12月に税制改革関連法案を成立させた。

大平の挫折から9年余をかけて消費税導入を実現した。野田毅が続ける。

「自民党は反省があり、入念に準備して各派が足並みを揃えた。党内討議も重視し、関係業界にも各省が全部、根回しした。認識のレベルを一緒にしないと駄目というのは竹下さんの哲学だったけど、この時代は揃ったなという感じがした」

売上税の税率は5%だったが、実現した消費税は3%である。89年4月から実施されたが、バブル経済と重なり、税収は大きく伸びる。91年度の国の総税収は約60兆円に達した。