王者ナベプロに勝つためのストーリー

最後に、『ストーリーとしての競争戦略』でも少し触れた、渡辺プロダクション(ナベプロ)との喧嘩の話を紹介したい。当時ナベプロはテレビ業界で絶大な権勢を振い、バラエティや音楽番組には欠かせない存在だった。しかし、井原は特定のプロダクションに従属すると自分の思いどおりの番組はできなくなると考え、ナベプロ全盛期でも微妙な距離を置いていた。

芸能プロダクションも商売、完全に自分の言うことを聞いてもらう必要はないが、少なくとも対等の関係でないといい番組はできないという信念を持っていた井原は、結局ナベプロとは決別することになる。『NTV紅白歌のベストテン』という、当時の日本テレビの看板番組の裏で、ナベプロが新番組を始めることになったときのことである。『紅白歌のベストテン』にはナベプロのスターたちも出ていた。

同じ時間帯にナベプロ主導で歌番組をつくるとなると、スターは全部そちらにとられてしまう。ナベプロのスター抜きには音楽番組は成り立たないというのが当時の情勢であった。困った井原はナベプロに交渉に行く。返ってきた答えは「いやなら『紅白歌のベストテン』の放送日を変えりゃいいじゃないか」。

ここから井原は獅子奮迅の動きをする。ナベプロを使わずしてナベプロに勝つ戦略ストーリーを構想する。まずは『スター誕生』という日本テレビの番組を使って新人をどんどん発掘する。デビューの後には日本テレビのありとあらゆる音楽番組に出す。彼らのレコードの出版権は日本テレビの子会社に持たせて、版権ビジネスとも連動させる。

『スター誕生』をトリガーにするというストーリーは、ナベプロ以外の弱小プロダクションとウィン・ウィンの関係をつくることにもなる。この番組から誕生したスターを、ホリプロやサンミュージック、田辺エージェンシーなどナベプロ以外のプロダクションに分配する。こうした芸能プロダクションは王者ナベプロの支配の陰で苦労していたので、新人の供給は願ったりかなったりである。しまいには「日本テレビ音楽祭」をつくる。ここでは「レコードの売上や歌唱力にいっさい関係なく、日本テレビに一番貢献のあった人に贈る賞」と明言する。渡辺プロはその後だんだん下り坂になっていった。

これはまさに「ストーリーの勝利」である。ナベプロのスターという「飛び道具」は使えない。飛び道具抜きでストーリーを動かさなければならない。それには一つ一つのアクションのつながり、因果論理をきっちりと詰めるしかない。井原のとった個別の打ち手は手持ちのタマでできることばかりであった。飛び道具や必殺技はなくても、構成要素をしっかりした論理でつないでいくことで競争優位を築く。これこそ戦略ストーリーの王道である。

『テレビの黄金時代』で小林信彦は、井原のことを「ものすごく好戦的で、アグレッシブに見えるけれども、勝算がない戦いは絶対しない」と評している。ナベプロとの喧嘩でも、単純に新番組で当ててやろうということではなく、勝つための一貫した戦略ストーリーを構想している。ストーリーの力で社内外のあらゆる人間を巻き込み、好循環を好循環を生み出すことによって勝利している。