フレックス廃止と全体の「つながり」

本社へ戻り、カメラ開発試作部長になったときにも、「ルール厳守」の信念が、火を噴いた。開発に当たる技術者には、ラフな格好で仕事をする人間が多かった。あるとき、一人のデザイナーが作業衣のボタンをはずしたまま、部屋に入ってきた。生産ラインでは、きちんとボタンをしていないと服が機械に巻き込まれ、たいへんなケガをする危険がある。当然、服装をきちんとすることは、どこでもルールだ。試作部とはいえ、機械を使って作業をするから、危険は同じ。それなのに、ボタンをはずしていた。「オレの部屋へ入ってくるときくらいは、きちんとした格好で来い。もう、出入り禁止だ」。きつい言葉が、飛んだ。

すると、そのデザイナーの上司がやってきた。「デザイナーには、自由な発想が必要だ。それには、服装も自由でないとダメなんだよ。勘弁してやってくれ」。そう言うので、「それは違う。ああいう点が、開発の連中の一番悪いところだ」と拒否する。それでも帰らないので、「それでは、きちんとした服装で仕事をしている人間とだらしない格好でやっている人間の、どちらがいいデザインをするか、みてみよう」と提案した。

結果は予想通り。きちんとした服装のデザイナーの作品に、みんなが軍配を上げた。十数年後、そのデザイナーがコンパクトカメラの大ヒット「IXY」を開発した。信念は、ますます揺るぎないものとなる。

2006年に社長になる前に、カメラ部門だけでなく、もう一つの主力製品である複写機など事務機部門も担当した。そこで、久しぶりに福島時代を思い出す。カメラ部門ではルールの厳守を徹底させたが、事務機部門は全く別の文化。とくに、開発部隊には、昔ながらの「いいものを設計して開発すれば、売れるかどうかはいいんだ」という気質が、根強く残っていた。しかも、デジタル化とともに製品の機能が複雑化し、一人が設計を担当する部分が細分化され、全体の「つながり」の把握が心もとなくなっていた。

「これは、変えねばならない」。社長就任時に、決意した。一つの答えが、勤務時間を弾力的に設定できるフレックスタイムの廃止だ。「自分のところにだけベストを尽くせばいい」。そんな部分最適の発想は、個々人が切り離された職場に起こりやすい。いまや、開発部隊は、全体が連携して動くようになった。「つながり」――それが、ルール厳守とともに必要だ。そう、確認した。

若いときから、群れて動くのが好きではない。職場で「打ち上げ」のようなことがあれば、部下たちを誘って一杯やりに繰り出すが、ふだんはあまり誘わない。とくに、その日になって急に誘うことはしない。マイカー通勤の部下が多く、飲むときは前日までに予告し、電車かバスで出社させるようにした。これも、ルールを守るための内田流だ。

一人で行動すると言えば、競馬がある。20代半ばのころ、会社が面白くないときに「競馬にでも行ってみるか」と東京競馬場へ出かけた。いろいろな情報やデータを組み合わせ、どの馬に小遣いを投じるか、断を下す。その判断が正しかったかどうかが、すぐにわかる。やってみると、自分の性に合っていた。もちろん、競馬にも守るべきルールはある。だが、予想にはルールはない。そこが、別の世界の面白さだった。

物事の判断には、短期、中期、長期の3種の視点があると思う。中期的な判断力を養うには株式投資が合い、長期的な視点なら不動産投資がいいかもしれない。でも、短時間に思い切りよく判断する力を鍛えるには、競馬が一番合うと思う。一時は200頭ほどの有力馬のデータを、頭に入れていた。でも、20年ほど前に電話投票を始めて、競馬場には行かなくなる。社長を辞めたら、また行きたい気がしている。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)