軍事戦略における人的部分とは、能力・組織・士気の三点であろう。企業戦略における実行部隊の戦力評価も、士気を心情と置き換えれば、ほぼ同じような見方ができる。

能力については、日本人の資質としての能力の高さを疑うものはいないにもかかわらず、特に最近よく耳にするのは、「中間管理職のトップ・マネジメント失格論」「トップ・マネジメントの中間管理層の駒不足論」である。

すなわち、上も下も勉強が足りない、という発想なのである。したがって、管理職能力を開発するための各種訓練法に人気が集まる、という結果になっている。

だが、人間が頭脳教育だけで行動や思考癖そのものに変化が出てくるというのは、きわめて強烈な刺激を受けたときに限られるのではなかろうか。やはり極限の環境に置かれて、肉体的重圧を感じつつ学びとったことでなければ、身となり肉となることは少ないのではないか。この点、先にあげた「勉強不足」の根は、勉強にあるのではなく、環境、しかもここ数十年来、管理職が育ってきた環境そのものにあるのではないかと思われる。

よく例に出されるのは、アメリカのビジネスマンは一人で日本側との交渉に出かけてくるが、日本のビジネスマンは必ずグループで交渉にくる、という現象である。一方、日本には松下幸之助、本田宗一郎、立石一真、盛田昭夫といった戦後派のサムライもいる。

この二つのタイプの日本人像は明らかに合致しない。その理由は何か? 環境に対して自らが置かれた“受動的”か、自らを置いた“能動的”かが、数十年を経て個人の能力に具現しているのではないかと思われる。