企業戦略(Corporate Strategy)いう言葉は従来非常に狭義に解釈され、主として成長のためのさまざまな戦略(例えば合併・吸収、垂直・水平統合、多角化など)を意味してきた。一九七〇年代になって、特にGE社を中心として発達した製品系列のポートフォリオ管理が欧米の多角化した大会社にも用いられるようになると、企業戦略とは事業間資源配分のことである、という解釈も出てきた。特に七三年以降の資源危機およびそれに続く今日までの不況下にあっては、経営資源の有効配分こそ今日の企業成長の雌雄を決するものだ、という議論をよく聞くようになった。

私は、こうした考え方の根底に、企業という組織体をごく一面、すなわちプロセスでしか捉えていない、誤った面があるのではないかと思う。経営手法の移入を技術提携と同じ次元で考えるような(会社によってはこの両者を同じ窓口でやらせているところがある!)習慣が抜け切れていないように思われる。

ところが、技術というものが、通常ノウハウの結果として製品をもたらすものであるのに比して、経営手法のノウハウは、直ちに損益の改善につながるというものではない。ノウハウを消化し、与えられた環境に焼き直し、既存のマネジメント・プロセスのなかに共存すべく組み入れられてはじめて、成果が出てくる。新しい環境(社会的、法律的、心理的)に焼き直すプロセスが不可欠であるがゆえに、経営ノウハウの移入は技術輸入に比べて、はるかにその成功の可能性が少ない。そのことを比喩的に小林秀雄の文章(『私小説論』新潮文庫)から引用してみよう。

「……(わが国の作家たちは)、西洋作家等の技法に現れている限りの、個別された思想を、成る程ことごとく受け入れたには違いなかったが、これらの思想は作家めいめいの夢を育てたに過ぎなかった。外来思想は作家達に技法的にのみ受け入れられ、技法的にのみ生きざるを得なかった。受け取ったものは、思想というよりむしろ感想であった……」