もともと分権化された事業部制の根本にある哲学は「すべての事業は発展する可能性を秘めている」というまことに楽天的な仮定であろう。このため、中央にサービス機能を持たせ、企業家としての中枢を事業部のほうに委ねてしまったほうが、市場に近いところで戦略が立てられるため、成果も大きい、という考え方に立っている。事業部のくくり方としては、したがって、企業家精神の発揚を阻害しないように、製品別ではなく、事務機であるとか、農業機械であるとか、一定の規模と共通目的を持った業種に照準するのがよいと考えられてきた。

このようなフィロソフィーに基づいて区分されている事業領域に消長があると、事業部長としてはまことに困った自己矛盾に陥ってしまう……。中世の藤原朝から拝領した荘園が、仮に貧土で穀物ができず、年貢はおろか荘園内の農民と武士を食わすこともできないといった場合に、荘園主はどのような手が打てるであろうか。中央にいるお公家様は、善意のかたまりみたいな顔をして、全面的に支援しているような立居振る舞いをしているし、それでも荘園主が意を決して、窮状を直訴すれば「君ならやれるはずだ」などといって、個人の能力があたかも抜本的解決にとって不可欠であるかのようなことを言うであろう……。今日の多角化した大企業の経営形態は、明らかに中世荘園制のかかえていたと類似した問題、あるいはどんな封建制度にも共通してみられるように分権化し、結果のみを年貢という金銭で測る場合の矛盾が露呈してきている、といえまいか。