成功することしか考えない人にとっては、「選択」の余地があるということを考えるのは難しいことであろう。しかし、万一、目標を「成功」から「最悪の事態を避ける」ことに置換した場合には、さまざまな選択が自ら出てくることが多いのではなかろうか? 最近の企業行き詰まりの例、安宅、永大、蝶理、システィックなどを見聞すると、どう考えても途中で方向転換ができなかったとは思えない。むしろある時点からオプション(代替案)を放棄し、視野をますます狭めて、破局に自ら突入していったとしか思えない。世の中の「営みごと」はすべて、オン=オフというバイナリー系(二者択一)ではなく、灰色のアナログ系である。「つき」は呼び込むもので、与えられるものではない。誤りは「制御」できるもの、最悪事態は避けられるもの、である。経営は真剣勝負ではあるが、一命を落とす前なら敗者復活もありうる。

私は、自分の仕事において、勢いに乗っているかあるいは乗り得る会社の場合には理想像を求め、“そこに至る道”を考え、勢いの落ちた破局に向かっている会社の場合には、最悪事態を想定し、“そこに至らない方策”を考える。いずれの場合も、このような思考上の描写や情景記述を好まない場合が多い。また、仮にこのような発想に快く参加してくれたとしても、経営者は破局のあとの情景描写が不得手である、という障害がある。例えば、「ゴメンナサイ」と言ってしまったあとの状況のほうが、破局に至ったあとの断頭台に引きずり上げられるよりよいのだ、という勘定が心理的になかなかできない。多少不利な講和条約でも結んでしまったほうが、広島に原爆を落とされ、東京が焦土と化すよりもよいのだ、という発想が出てこない。