北海道の中央部にある東川町は、鉄道はおろか国道すら通っていない町だ。だが、約30年にわたって移住者を増やし続けている。きっかけとなったのは、「“写真映りのよい”まちづくり」という独自の施策だった。不動産ライターの中川寛子さんがリポートする――。
大雪山旭岳からミネラル豊富な天然原水が湧き出る。それを利用した水田で育つ米のうまさには定評がある。
@Tamotsu Matsui
大雪山旭岳からミネラル豊富な天然原水が湧き出る。それを利用した水田で育つ米のうまさには定評がある。

27年間で20%以上人口が増えた北海道東川町

全国の自治体で人口が減少している中で、独自の施策で人口を増やしてきた自治体がある。その代表ともいえるのが北海道にある東川町だ。

北海道の中央部、旭川市の隣にある小さな町である。主な産業は農業や家具の製作。豪奢なリゾートホテルどころか、鉄道や国道、上水道すらない。

1950年の人口1万754人をピークに、他の地方の自治体と同じく、人口減少の一途をたどっていた。だが、1994年から人口の増加が始まり、2020年までの27年間で19.4%の人口増となっているのだ。

その理由は、手厚い子育て支援ではない。「写真文化による町づくりや生活づくり、そして人づくり」という、すぐには理解できない施策だった。全国的に極めて珍しい取り組みを取材した。

写真で町おこしという唐突な提案

東川町が大きく変化したのは約40年前のことだ。

当時、すでに地域の活性化が社会の課題となりつつあった。各自治体は、平松守彦大分県知事(当時)氏が提唱した「一村一品運動」のように、メロンや米などといったその土地のモノで地域を変えようという施策を行っていた。

東川町も、当初はそのつもりで、84年の夏から秋ごろに、当時イベント開催等を通じて面識のあった企画会社に相談をしていた。

「町内にある旭岳温泉、天人峡てんにんきょう温泉で観光客が減少しつつあったので、その温泉地をイベントなどで盛り上げられないかという相談をしました。ところが企画会社から実際に提案されたのは、単発のイベントではなく、町全体の魅力を高めるために写真という『文化』に基盤を置いた、継続的な町おこし策でした」(東川町写真の町課の竹田慶介課長)。

レンズ付きフィルムカメラ「写ルンです」が発売され、それがきっかけとなって写真が身近になっていったのが翌1986年。その頃のカメラは高額な品で、今のように誰もが写真を撮る時代ではなかったことを考えると、写真で町おこしを提案された東川町の驚きは想像できよう。