ロシアのウクライナ侵攻に対し、日本はどのような態度を取るべきなのか。東京外国語大学の篠田英朗教授は「日本国憲法は、国際協調主義を掲げ、国際法遵守の立場をうたっている。ロシアによる国際秩序の破壊を傍観するだけでいいはずがない」という――。(前編/全2回)
ウクライナ軍がロシア軍から奪還したチェルニーヒウ州南方の村ルカシウカで、破壊された古い教会の前でジュースを飲む子供たち(2022年04月27日撮影)
写真=EPA/時事通信フォト
ウクライナ軍がロシア軍から奪還したチェルニーヒウ州南方の村ルカシウカで、破壊された古い教会の前でジュースを飲む子供たち(2022年04月27日撮影)

日本は国際秩序の破壊を傍観するだけの国なのか

ロシアによるウクライナに対する侵略戦争は、日本人の世界観に大きなショックを与えた。多くの日本人が、21世紀の欧州で、あのような蛮行が起こりうるのか、と驚いている。この感覚は、憲法9条をめぐる議論にも影響を与えざるを得ないだろう。

一つの大きな意識変化は、国際秩序の存在に対する認識ではないだろうか。国際秩序は脆弱ぜいじゃくだが、確かに存在している。もちろん国際秩序に反する行動をとる者は、後を絶たない。しかしそれでも国際秩序を維持しようとする者が、違反者を糾弾し、秩序を維持するための努力を続けている。日本は、国際秩序の破壊を傍観するだけの国なのか、国際秩序を維持するために努力する国なのか。そこが問われている。

日本の憲法学者は、「憲法優位説」を唱えてきた。国際法に対して、彼らの憲法解釈が優越する、という主張だ。これによって憲法学における国際法の影響を抑え込んできた。

しかしこのような憲法解釈の問題性に、いよいよ意識が向けられなければならない。国際秩序に背を向ける憲法学者に国家運営を委ねている間は、日本が国際秩序の維持に貢献していくことはできない。それどころか、国際社会の中のガラパゴスであり続けてしまう。

日本国憲法の「本来の性格」を取り戻す

日本国憲法は、国際協調主義を掲げ、国際法遵守の立場をうたっている。問題なのは、それを否定する憲法学者たちのいびつな憲法解釈である。

イデオロギー的に偏向している憲法学通説を、日本国憲法そのものだと誤認したうえで、別の立場からのイデオロギー対決を迫る右派勢力も、国際協調主義への関心の乏しさの点では、大差がない。現代日本のニーズに適合しない。

今こそイデオロギー闘争と談合政治を通じて、安全保障政策を決めていく日本の社会風土に、終止符を打つべきだ。それはつまり、隠蔽いんぺいされてきた日本国憲法が本来持っている国際法遵守の性格を取り戻す、ということである。