体験を通じて肌感覚で学ぶ

経済成長著しいブラジル、ロシア、インド、中国の頭文字をとって「BRICs」と表記するが、コマツでは「BRICS」とすべて大文字で書く。最後のSは南(サウス)アフリカだ。これは「2050年」を視野に入れているからだ。中国もインドも30~40年には人口がピークに達し、減少に向かうが、アフリカだけは50年以降も増え続ける。新興国の売上比率が6割を超えるコマツにとって有望な市場なのだ。資源国である南アフリカは今でも売り上げ規模でロシアと同じ比重を占めている。

コマツ会長 坂根正弘 さかね・まさひろ●1941年生まれ、島根県出身。63年大阪市立大学工学部卒業後、小松製作所(現コマツ)入社。2001年社長、07年6月より現職。2009年末、米ハーバード・ビジネス・レビュー誌で「在任中に実績をあげたCEO」として日本人経営者ではトップ、世界全体でも17位に選出された。

21世紀に入り、世界は日米欧中心からグローバル経済へ突入した。その変化をコマツは新興国と密接に接しながら肌感覚で学んできた。すでに1990年代から、「もはや日米欧ではない。これからは中国だ」と唱え、進出を図った。体験を通じて学ぶ。知識と行動が合わされて一つになる。「知行合一」こそがコマツ流の学び方だ。

私自身、知行合一で経営を学んだ。社長に就任した年の決算(02年3月期)でコマツは約800億円の赤字を計上した。雇用維持のために事業を多角化し、次々に設立した子会社が重荷となって業績を圧迫していた。それをデータで示し、事実を「見える化」することが私の構造改革の出発点だった。

コストを分析すると固定費が非常に高い。子会社数、製品数、間接部門にメスを入れ、固定費を500億円圧縮した。コストを変動費と固定費に分ける米国流の会計方式を、私は実践を通して学んだ。1990年代初め、赤字続きの米国の合弁会社の再建を命じられ赴任。人員削減の理由を示すため、現場で格闘しながら身につけたものだ。

コマツ自体も知行合一で成長した会社だ。私が入社した60年代、業界世界最大手キャタピラー社の日本上陸が迫っていた。当時は日米間で品質に大差があった。そこで、中興の祖、河合良成社長が「マルA対策」プロジェクトを立ち上げ、2年以内に同等にする目標を掲げた。問題点は「なぜ」を最低5回繰り返すほど、TQC(総合品質管理)を徹底。行動しつつ学んだことでTQCはDNAとして定着した。