伝統工芸に抱いた危機感が思いがけない商品を創出

──地域資源を有効に活用することで、ビジネスとして成功した例を紹介してください。

海上 数々の例がありますが、一例として佐賀県有田町の話をしましょう。

有田町といえば陶器の有田焼で知られますが、2000年ごろの時点で有田焼産業の売上規模は、最盛期の3分の1程度にまで落ち込んでいました。そこへある地元出身の方が奥様の実家の事業を継ぐため、Uターンしてきたのです。

その方は「低迷した有田の町を何とか元気にしたい。有田焼を通じて世界の人に喜んでもらいたい」と、有田焼復興に乗り出しました。その後、体調を崩し入院することになった際、何気なく病院に持ち込んだ1本の万華鏡が、自分だけでなく他の患者さんや看護師さんたちにも癒やしになると評判でした。これに気づいた彼は退院後、有田焼で万華鏡をつくるビジネスに挑み始めたのです。

最初は取り合ってくれない窯元も多かったようですが、やがて万華鏡作家やガラス、金属などの専門家、それに有田焼の将来に危機感を共有する窯元と連携し、計12の異業種からなる研究会を組織しました。そして県の助成を申請したところ、審査委員会で焼き物の専門家からは「一本一本サイズの違う焼き物と、精密な金具やガラスとを組み合わせるのは難しい」といわれました。マーケティングの専門家からも「欧州などと違い、日本では万華鏡は玩具の域を出ないので、高価な有田焼でつくっても売れない、採算が取れない」などと指摘されました。それでも彼は「不況こそ発展のチャンス。衆知を集めれば不可能が可能となる」と訴えました。結果、主には焼き物を知らない審査員に「おもしろい」と評価されたのが幸いし、助成金がおりたのです。

やがて有田焼万華鏡は2004年の有田陶器市に初登場し、会期中、およそ300万円を売り上げました。続く東京の百貨店での展示会でも約500本の注文を獲得し、販売1年目にして合計3000本ほど、1億円以上の見事な実績を上げました。

その後、第2弾として有田焼万年筆も商品化。これはG8洞爺湖サミット(2008年)で外国首脳への記念品に採用されました。

 この事例では、従来、どうしても食器などの用途に発想が限定されていた有田焼に対して、そうした固定観念を打ち破れたことが決め手となっています。当初は少数の窯元でしたが、思いを共有することもできました。異業種との連携では、一流の人材や企業を集めたそうです。行政も助成金というかたちで支援を行いました。また「県が認めた話ならば……」と、万華鏡の開発に新たな参画者が増えることにもなりました。多くのプレーヤーが一体となったのです。

最近では有田焼業界の若手経営者や若い窯元たちが、新しい商品や市場の開発を積極的に進めているそうです。

このほか、日本有数のタオル産地だった愛媛県今治市の事例を挙げると、新興国製品の輸入攻勢で業界が圧迫されていたなか、既存のタオル用途に縛られなかったある女性経営者がタオル生地を使ったベビー用品や雑貨などの開発に取り組み始めた。従来の一束いくらで取り引きされていた商習慣から脱却し、付加価値の高い新しい商品概念をつくって、縫製などの協力企業を発掘・育成。新事業は成功を収めているという。

一方、工芸品や技術ばかりが地域資源ではない。最も価値ある資源は、地域の人材(人財)だ。ある自治体は、地元の女性人材の活躍を図るため、コールセンターを誘致した。女性たちへの事前研修は自治体が行うこととし、コールセンター側には女性にとって働きやすい環境づくりなどを要請。WIN-WINの関係が実を結んだという。