08年9月のリーマン・ショックは、「口実に使われたと思います」と言う。

「11月だったか、事務所の張り紙に、『来月から24時間営業を止めます』と書いてあった。24時間が一気に16時間に減った。一瞬、クビかと思った。死活問題でした」

郵便局やコンビニのかけ持ち先は、すでに辞めていた。

「ほとんどの同僚は切られた。ただ、彼ら学生と違ってこっちは30歳前のフリーター。すがりつく思いで朝・夕方と2つの時間帯に入れてもらった。でも、時間帯が変われば客層も変わるし、生活リズムも狂いまくった」

そこで悩まされたのは、同じ時間帯に入っていたあるパート女性との“対立”だった。

「30代後半か40歳くらいで、ちょっとギャル風。気が強くて、ズバズバものを言う。僕も理屈っぽいほうなので、最初から合わなかった。形式上は彼女が上司。僕がお客さんの許可を得て、温めた弁当とアイスクリームを同じ袋に入れたのを、『ちょっと石井君、別々にしなきゃダメでしょ』と咎められ、カチンときた僕が反論したことをきっかけに、互いに口をきかなくなった」

アレルギーは以前からあった。

「彼女が裏に回って納品や発注の作業をしてるときは、レジが込んできてもなかなか出てこない。こっちに仕事を振ってくるから、裏での作業量は僕のほうが圧倒的に多かった」

そのうち、「店のここからこっちは私、あっちはあなた」と“縄張り”を分けるように。

「愛想よく客に応対しながら、客が帰った瞬間にチッと舌打ちしたり。怖っ、と思いました。僕のいない時間帯にほかのバイトと派閥をつくって、僕の悪口を言いふらしてました。本当に神経が疲れました。でも、それを知らせてくれる人もいた。僕を嫌う人もいましたが、味方は僕のほうが多いと思ってました」

女性が裏でサボっているときに、例えば客に出すフライドチキンのスパイスをわざと入れ忘れた。客からクレームが入り、店長が飛んできたら「すみません、僕のミスです」とひとまず謝っておいて、「でも実は……」と彼女のサボりの実情を報告する等々、何とも細かい手練手管を駆使した。

こうした“暗闘”の末、最終的に女性はパートに来なくなった。

「向こうから仕掛けてきても一切無視して、辞めさせてやりました。貧乏魂ってやつです」

※すべて雑誌掲載当時

(小原孝博=撮影)