「観察」するということが、なぜそれほど貴いのかといえば、それは知識や情報で勝負していないからである。情報化時代に入り、人々は与えられた情報を縦、横、斜めに料理して、胃の中にほうり込んでいる。しかし、そこから出てくる消化不良の食物は、どう見ても滋養にはなりそうにない。単なる情報の過不足で人間の価値が決まってくると思っているような人は、その収集に窮々として、到底物を観察する暇などはあるまい。