ごくありふれた領域に、解明されずに残っていることが、このように山積しているからこそ、おや、何故だろう、と思う心が貴いのだと思う。逆にこうした事象をふつうのこと、あたりまえのこと、としてしかとらえない眼には「発見」ということなどあり得ない。

自然界の事象や人間の営みをこのような心象の眼で見つづけていると、自然と観察が鋭くなり、今度は、加工されたデータや情報に対しても同じように虚心坦懐に臨むことができるようになる。分析や数字の羅列からある意味を引き出し、おや?と思うようになる。同じ心構えで、このように会社の業務、市場の動向、競争相手の動き、社会構造の変化、などがふと意味をもつようになってくる。これが発見の心であって、心眼の開いた人だけに見える世界である。