たとえば教育制度は明らかに能力差、個人差はないものという前提に立って組み立てられている。また学ぶべきもの、身につけなくてはいけないものは、義務教育レベルでは人によって差がない、という一大仮定が一般に受け容れられている。社会人になれば学校の先生、タクシーの運転手、芸術家、レストランの店員、会社員と千差万別なのであるが、これらの前提となる九年間にも及ぶ基礎教育は画一的でよい、とされている。

私にとっては、これらに共通して役立つ学問は、道徳、倫理の類を別にすれば、現代版「読み、書き、算盤」と車の運転技術ぐらいのものである。しかし、現実には車の運転技術は二十五万円の教習所の彼方にあるし、集団生活における最低の約束事を教える倫理観の育成については、教育者の手に余ること、とされている。

大会社の昇進パターンや給与制度もやはり、個人差は少ない、という前提のもとに組み立てられていて、入社したときから差を前提としていたり、十年以内には雲泥の差をつけることを目的につくられている欧米の制度とは、その発想を異にしている。しかし、入社して半年もたてば個人の資質の違いは明らかであるし、お茶のみ話しでは出てくる「今度来たA君は、アレどうしようもないな」というホンネは、制度的には十年以上も感知せず、ということになる。