私は、明治以後の日本人は、平均的にいって世界でも卓越した記憶力を持った国民となっているのではないかと思っている。その理由の第一は、小学校において実に長い時間、記憶力養成以外の何ものでもない漢字や熟語の学習を強いられている、という点である。日本の非識字率が世界一低いということの逆もまた真なりで、日本が世界一の記憶偏重教育をやっている、ということなのかもしれない。この影響というのは、小学校の国語以外の科目や、高等教育に如実に表れている。すなわち、本来論理的思考を育てる理想的な学問である幾何のようなものが、いくつ解法を記憶したかによって成績が決まってしまうように組み立てられているし、読み、書き、話すことが目的であるはずの英語でさえ、文法の“例外”をいくつ記憶したかを試すことが目的であるかのような試験を課せられる。また、アリストテレスの論理、推論のようなものは、知識として教え込まれ、道具として身についたものとはならない。

このことを逆に見れば、われわれの成長過程で、二つの重要な能力の開発がおろそかにされる可能性の高いことを示唆している。「分析力」と「概念をつくり出す力」である。