好成績でもKYだと「その他9割」になる

一部の人事部では、総額人件費を減らすために新たな企てが進められている。

通常、社員の成績は、2(優秀):6(普通):2(劣る)と分けられる。これを「1(特別に優秀):1(優秀):6:2」と分け、優秀なクラスの数を一段と減らし、「特別に優秀」といったクラスを設ける。1割のゼネラルなマネジャーと、9割の専門的な一般社員に分けようというのだ。一般的な呼称でいえば、部長、役員などといった幹部になれるのは「特別に優秀」とされる1割だけだ。

選別はいつの場にもある。問題はここからだ。ここでのクラス分けは単純な成績順とはならないことに警戒するべきなのだ。

トランストラクチャ代表の林明文氏はこう解説する。

「大企業の人事評価が相対的であいまいなものである以上、成績の悪い人を特定しようとすると、せいぜい下から数えて3~5%しかできません」

それでは何を基準にして1割の優秀な社員とその他大勢の社員の区別を測るのか。その基準のひとつとなるのは、その企業が持つ経営理念やビジョンに共感を持っているかどうかだという。日本総合研究所の寺崎文勝主席研究員は話す。

「人事部は本当の意味で優秀な人を求めているのです。高い数字を残しても、会社の価値観に沿えない人はいらないのです。例えば、最近は管理職を対象とした人事評価の項目に、『部下の育成』や『チームの育成』などを盛り込むケースが増えてきました。今後も残ってほしい管理職には、これらを踏まえた言動を求めていくでしょう」

エリートとして多くの社員の上に立つ人材には、成績以上に、組織の力を生かした体制をつくれるかどうか、という点が問われるようになる。いい換えれば、上司を中心として人間関係を良好なものにし、いわば職場で生きていくためのインフラをつくる。そのうえでコンスタントに高い成績を残し、それを上司に納得させるように誘うことが求められる。つまりは、職場で生き抜く技術や空気を読む力こそが不可欠なのだ。

大手不動産会社の営業部で、20人のマンション販売チームを率いている課長(48歳)がいた。彼の下に、営業成績がほとんどビリという部下(20代後半)が赴任してきた。

課長は、いくら成績が振るわなくても、その社員を厳しく責めなかった。その代わり、機会あるごとに仕事の問題点を振り返るように仕向けた。成績の悪さから萎縮して、チームの輪から遠ざかっていたが、皆の前でその社員の行動を盛んに話し、溶け込むように仕向けた。成績が大きく伸びることはなかったが、本人は満足しているようだったという。職場の雰囲気も終始よかった。

2年後、課長はこうした指導が認められ、花形といわれるエリアに異動となった。栄転である。私は人事部員からこのエピソードを聞いた。

人事部の求める管理職とはこうした人物なのだ。そのねらいは、徹底した「組織戦」をすることにある。この10年ほどは、荒削りな成果主義の影響で個人戦になりつつあった。これでは、組織の力を生かした闘いができない。組織としての生産性は高まらない。

「組織戦」が求めるものは冷徹でもある。つまり9割の社員は、1割のエリートの下で、いつまでも賃金が上がることなく、生きていくことを強いられるのである。「価値観共有」とは、それに従えるかどうかの踏み絵にほかならない。

戦略的な人事部は、あいまいな人事評価を維持することで、巧妙に社員を会社にしばりつける。そのうえで新しい成果主義のもとで、闘い抜くことを求めていく。その姿は、かつての「モーレツ社員」をいまの時代にリニューアルしているようにも思える。しかし、あの時代のような夢や希望はもうない。だからこそ、厳しく空しく、そして悲しいのだ。

※すべて雑誌掲載当時

(宇佐見利明=撮影)