防虫蚊帳の開発を始めて、伊藤は早朝出勤、休日出勤が当たり前となった。蚊帳づくりは会社の仕事ではないからだ。昼休みも蚊の待つケージへすっ飛んでいく。こんな日々が、だが少しも苦労ではなかった。「ライフワークと決めた以上、必ずいいものを生み出したい」。行き詰まっても行き詰まっても、その思いのほうが強かった。コツコツ壁を越え、オリセットネットが遂に完成したのは94年。その年、国際アグロ事業部の協力を得て、カンボジア、セネガルなどで現地テストを実施。ここでも感染率が低下するなど、高い効果が実証された。

しかし、注文はさっぱりだった。理由は価格。町工場の機械を借りての非効率な生産であったため、1張30ドルと高く、援助団体は皆そっぽを向いた。政府のODAの注文がわずかに来たが、それもポツリポツリだ。

あまりの嬉しさに上げた雄たけび

「ライフワークと決めた以上、必ずいいものを生み出したい」
「ライフワークと決めた以上、必ずいいものを生み出したい」

潮目が変わったのは98年。WHOがユニセフ、世界銀行などとともに「マラリア防圧(ロールバック・マラリア)」キャンペーンを開始してからだ。2010年までにマラリアによる死亡率を半減させるというもので、その中心に防虫蚊帳の使用を据えたのだ。

もっとも当初は安価で処理の度にアフリカの人たちを教育できる再処理型が好まれ、需要を見込んで中国で生産したオリセットネットは在庫の山。捨てるよりはと、WHOに叩き売りした。だが再処理型は配布をしても結局放置され、01年にWHOはオリセットネットの使用を公式に推奨。翌02年にはWHOから何と、イラク向けに20万張の注文が来た。あまりの嬉しさに、伊藤は雄たけびを上げた。奥野と物流の協力者の3人で、祝杯も上げた。そしてWHOからはさらに、タンザニアの蚊帳メーカー・AtoZ社への技術移転の要請が来たのだ。

「無償の技術供与を会社がすぐに承諾したのは、社会貢献もあるが、存在感のまったくないゼロに等しいビジネスだったから」と伊藤は言う。

だがアフリカでの生産が始まると、需要が急増。オリセットネットの有効性が、配布した村々で証明されたからだ。国連のミレニアム宣言、世界基金設立など、貧困の要因「エイズ・結核・マラリア」の三大感染症を撲滅しようという動きが強まったことも需要拡大に拍車をかけた。こうなると“伊藤商店”では到底対応できず、オリセットネットは一気に住友化学の全社的な取り組みとなった。