佐々部清

1958年、山口県下関市生まれ。明治大学文学部演劇科を卒業後、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)で映画づくりを学ぶ。大学時代から石井聰亙氏(映画監督、神戸芸術工科大学教授)らと映画の自主制作を続け、84年に映画やテレビドラマの助監督となる。主に崔洋一、和泉聖治、杉田成道、降旗康男といった監督に師事したのち、2002年に『陽はまた昇る』で監督デビュー。『半落ち』は05年の日本アカデミー賞最優秀作品賞と優秀監督賞を受賞。今年は8月公開の『日輪の遺産』に続き、『ツレがうつになりまして。』が10月8日に公開。


 

最初「いずみ」に来たとき、僕はウーロンハイを頼んだんです。次に来たときは、注文する前からウーロンハイがすっと出てきた。しかも店のママは、僕たちが話をしているところへ決して割り込んでこない。そんな気遣いが大好きなんです。

それと、食べ物が全部おいしい。昔、母がつくってくれた料理の味がします。僕の実家は6人家族でしたから、コロッケなんかいっぺんに30個は揚げていました。でも、核家族ではそうはいかない。ここには大家族の家庭料理の味が残っています。

よく来るようになったのは、6~7年前から。僕は東映作品で監督デビューしましたし、東映に育ててもらったという思いが強いんです。だから他社の作品でも撮影所はこの店の近所の東映大泉撮影所と決めています。家に帰ったら気が抜けてしまうと思うので、撮影に入ると東映の独身寮に1カ月半くらいこもります。宿代が安いし、畳敷きの部屋だから集中できるんです。ちゃぶ台にスタンドを置いて仕事をしています。

で、1日の撮影が終わると「いずみ」に直行して、晩ごはん代わりに酒を飲む。日替わりでスタッフを何人か連れてきます。最新作『ツレがうつになりまして。』の完成試写のときは、主演の堺雅人くんと宮崎あおいちゃんを招待しました。東映のほうはもっと豪華な店を用意したかったみたいだけど(笑)、僕が強引に連れてきちゃった。2人とも喜んでくれましたよ。

原作マンガは、家族のうつ病を扱った実話です。企画が持ち上がってから周囲に聞いてみると、家族や友人がうつ病で参っているという話がものすごく多い。でも、原作者の細川貂々さんは、泣き言をいうのではなく、運悪くうつ病になっちゃった旦那さんをマイペースで支えます。

家事が不得手で、マンガ家としての仕事もいまいちパッとしない。そんな彼女が、旦那さんの病気を機にだんだんやる気を出していき、家事をこなすし、出版社へ出かけて仕事の注文をとろうと必死になる。とてもいい話だと思いました。

ちょっとダメな人が、いろんな経験を通して少しずつ成長していく。僕はいつも、そんな映画をつくりたいと思っているんです。今回はそれがストレートに表現できましたね。

僕にとって監督11作目なんですよ。前作『日輪の遺産』までは、愚直でまっすぐな演出を心がけました。それが自分の作風になると思ったからです。でも、今回はちょっと新しい試みに挑戦しました。細川さんに無理をきいてもらい、原作にはないオリジナルのイラストを多数使わせてもらったほか、後半にはアニメの場面も登場します。ふんわりした、いい感じの映画になったなと自画自賛しているんですけど(笑)。