日本の教育に格差はあるのか。早稲田大学准教授の松岡亮二さんは「どんな環境に生まれたかは、学歴とその後の人生に関連している。日本は『緩やかな身分社会』といえる」という――。

※本稿は、松岡亮二『教育論の新常識』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

ランドセルを背負う子ども
写真=iStock.com/kazuma seki
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「教育格差」と「学歴格差」は違う

まず、言葉を定義するところからはじめよう。「教育格差」とは、本人が変えることのできない初期条件(「生まれ」)によって、学力や学歴など教育成果に差があることだ。一方、「学歴格差」は、最終学歴によって処遇が異なることをいう。たとえば、(有名)大卒の学歴が潜在能力の高さを示すシグナルと解釈されて、希望する企業や官公庁に就職しやすかったり、組織内部でも昇進コースに配属されやすかったりすることだ。

2000年代以降「教育格差」も話題になってきたが、多くの人が身近な話題として感じてきたのは戦後の長い期間メディアで取り上げられてきた「学歴社会」だろう。ただ、このようなメディアの報じ方や人々の感じ方は、必ずしも社会の実態を反映しているわけではない。

「生まれ」と最終学歴

これまでの調査結果が(多少の変動を伴いながらも)一貫して示しているのは、戦後日本社会には常に「教育格差」があり、また、同時に、「学歴格差」があることだ。「生まれ」は本人の学歴を通して収入を含む社会的地位に変換されていることになる。「生まれ」によって(平均的には)最終学歴が異なり、学歴確定後の人生の可能性が制限されているのである。前近代のように身分がそのまま世襲されるわけではないが、「生まれ」・学歴・その後の人生に関連がある日本は、「緩やかな身分社会」といえる。

「教育格差」が社会問題として指摘されるようになったのはバブル経済崩壊後である1990年代後半、一般的にメディアなどで浸透するようになってきたのは2000年代で、その後半になると「子どもの貧困」も頻繁に取り上げられるようになった。換言すれば、低成長期になってから「子どもの貧困」を含む「教育格差」が社会問題として認識されるようになってきたわけだ。ただ、高度経済成長期やその後のバブル崩壊前までの安定成長期であっても、「生まれ」によって学歴達成に違いのある「教育格差」は存在してきた。一部の研究者を除いては、注目してこなかっただけだ。