私は長年、エンジニアとして現場で仕事をしており、ようやく管理職になったのは36歳のとき。同期の中では出世が最も遅いほうでした。管理職としての初仕事は、大手都市銀行の次期オンラインシステムの売り込みでした。厳しい受注競争の中で、銀行から担当メーカーに選定していただかなくてはならないという状況にありました。

20人ほどのチームで2年頑張ったのですが情勢は厳しく、ときには部下も「選ばれないのでは?」と不安を露にし、チームの士気が下がったこともありました。しかし、私は「必ず道は開ける」と自分に言い聞かせ、前向きに仕事に取り組みました。やはり支えてくれる信仰があったからでしょう。最終的にはお客様に選んでいただけ、これが私のキャリアが開けるきっかけになりました。

 「撤退」の痛みに耐えられた理由

1993年に社長に就任し、すぐに直面した課題は「撤退」でした。大型コンピュータなど主にハードウエアを売る会社から、コンピュータを動かすシステムの提案などソフトウエア、サービスを中心とした会社へ事業構造を根本的に変えるために、いくつかの事業から撤退することを決断しました。撤退は負の異動なども伴う一番難しい決断なのですが、そんなときも「自分は全力を尽くして最善の決断をした。その先の道は神様が用意されている」と思えたことで、心の平安が守られた。撤退にかかったコストのため、就任1年目は日本IBM創業以来、初の赤字決算となりましたが、このときの事業転換で、将来に向けた会社の基盤を築くことができたと思っています。

そして2002年末、経済同友会の代表幹事就任のお話をいただきましたが、自分にはその任にふさわしい見識もないと考え、迷っていました。しかし、たまたまその年のクリスマスに教会で聞いた説教が決断に導いてくれました。

「……『神にできないことは何一つない』マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように』」(新約聖書「ルカによる福音書」1章37~38節)

人が何かを担うのはその人に能力や見識があるからではなく、その仕事を神様が用意してくれたからだ、といった内容の説教でしたが、私には、「代表幹事を引き受けなさい」というメッセージに聞こえました。あまりにも的確な言葉に、隣にいた妻と思わず顔を見合わせたほどです。

2年後に任期を終えようとしたとき、健康に少し不安があったため再任は辞退するつもりでいました。するとまた教会で考えを変える教えと出合ったのです。

「あなたは年を重ねて、老人となったが、占領すべき土地はまだたくさん残っている」(旧約聖書「ヨシュア記」13章1節)という一節に基づく説教を聞きました。やり残したことがまだあるのではないか、と考え直した私は、結局、再度代表幹事をお引き受けすることにしたのです。

(小山唯史=構成 澁谷高晴=撮影 PIXTA=写真)