操業を再開した気仙沼工場で、製品のカットソーに次々と仕上げのアイロン掛けをする。
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操業を再開した気仙沼工場で、製品のカットソーに次々と仕上げのアイロン掛けをする。

イタバシニットが、気仙沼に工場を建てたのは1970年のことである。宮城県の誘致に応じて、「何といっても風光明媚だし、山よりは海に近いほうが便利で、海の幸もある」(吉田)と進出を決めた。吉田が27歳のときだ。

当時の社長は、父で創業者の吉田肇である。33年に東京都本所区で操業を始め、社名は戦後、板橋区で操業を再開したことに由来している。2代目社長は、兄の吉田秀。吉田は94年に3代目社長を引き継ぎ、今年春に68歳を迎えた。

遡ること38年前、吉田は気仙沼工場ができて3年目に、妻と幼い子供を連れて、現地に赴任する。長女が3歳、長男が1歳、その下の2人の子供は赴任後に生まれた。その気仙沼で、「2年の約束が15年を過ごす」ことになる。子供たちは中学・高校時代を気仙沼で送った。

同社は、20代から30代の女性キャリアゾーン向けの一流ブランドからの委託で、カットソーやブラウスをOEM生産している。ワールドの主力商品である「アンタイトル」、ミラノ発のシャツブランド「ナラカミーチェ」、ニューヨーク発で日本人デザイナーのブランド「セオリー」などである。いずれも、洗練されたデザインやシルエットの美しさが人気のブランドだ。

ほかに、インドネシアのジャカルタと中国の上海に工場があるが、気仙沼工場は、売り上げの8割弱を占める主力工場だ。同社が扱っているようなキャリアゾーンのレディース商品は、バブル期以降、売れ筋追求型のビジネスとなった。

つまり、人気の出た商品があると、それに追随して商品を矢継ぎ早に市場に送り込むことが求められるのだ。気仙沼工場では、注文から1週間、2週間で新しい商品を納めることができる。中国で製造したのでは、このスピードは実現できない。その速さを可能にしたのは、独自のシステムである。

通常、本縫い、オーバーロック、アイロンという工程には、それぞれ1人のオペレーターがつく。イタバシニットでは、この3工程を1人のオペレーターがこなすのだ。そのため立ち仕事で、3つの機械の間を動き回る。当然、高い熟練が要求される。

このシステムは、気仙沼工場でしかできない。それゆえに、国内で勝負できる数少ない縫製工場となっていた。社長の吉田にとって、気仙沼工場はイタバシニットの屋台骨であり、気仙沼は子供たちを育てた思い出の地であり、第二の故郷であった。