奈良県大和高田市に法律事務所を開いている射場守夫さんは、かつてはタクシー運転手だった。高校卒業後、職を転々としていたが、「弁護士になりたい」と思って、夜勤のタクシー運転手となった。5年間、勤務しながら勉強を続け、弁護士資格を取得した。射場さんは「勤務中でも工夫次第でいくらでも勉強できる環境だった」という――。

※本稿は、栗田シメイ『コロナ禍を生き抜く タクシー業界サバイバル』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

タクシー
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雲一つない星空を見て、弁護士になることを決意

多種多様な生き方が許容される。

それがタクシー業界の変わらぬ不文律でもある。

夢の実現のために一時的に身を置く若者もいれば、紆余曲折を経て、終の住み処として選ぶ者もいる。一方、ドライバーから弁護士に議員、外資系企業のマネージャーといった一般的にいう“社会的地位が高い”職業に転身した者もいる。

そんな人々の軌跡を追ってみた。

タクシードライバーから弁護士に転身を果たしたのは、射場守夫さん(55歳)だ。

現在は奈良県大和高田市で法律事務所を開設している射場さんが司法試験受験を志したのは、30歳の時だった。

大分県の高校を卒業後、「親元から離れたい」一心で、何の当てもない岡山県で一人暮らしを始めた。岡山を選んだのも、「大都会は怖いから適度に栄えている町に行こう」という程度の理由だったという。

栗田シメイ『コロナ禍を生き抜く タクシー業界サバイバル』(扶桑社)
栗田シメイ『コロナ禍を生き抜く タクシー業界サバイバル』(扶桑社)

その後、宅配の運転手、ガソリンスタンド、せんべい屋などのアルバイトを転々とし、食いつないだ。仕事は全て面白かったと当時を回顧する。だが、どれも高収入と呼べるものではなかった。

既に結婚し、3児の父でもあったこともあり、漠然とした将来への不安を抱えていた。家族でのドライブ帰り、ふと見上げた空の星を見て、どういうわけか突然弁護士を目指そうと決意したというのだ。

「当時は、大卒や専門資格などの肩書が大嫌いだったんです。そこに安住している人が滑稽に思えて。資格で評価されるという仕事だけはしたくなかったので、常に努力や工夫が重視される道を歩んできた。その信念の対極ともいえる弁護士資格に、あえて挑戦しても面白いんじゃないか……と雲一つない星空を見て、なぜか思ったのです」